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#31 君になりたい/泖
【往復書簡 #31 のやりとり】
月曜日:及川恵子〈狩野英孝になりたい〉
水曜日:泖〈無敵な自分で大丈夫マン〉
金曜日:くろさわかな
無敵な自分で大丈夫マン
何年か前までは「あの人になれたらどれだけ幸せだろう」と考えることが多かったのですが、最近はそれもなくなった気がします。
過去に「あぁ〜宮沢りえになりてぇな〜」とぼやいたこともありますが、「でもセリフ覚えるの大変そうだな」なんて思ってしまって、自分が宮沢りえになる想像が全く膨らみません。
「深津絵里にもなりてぇな〜」とも思いましたが、「やっぱりセリフ覚えるの大変そうだな〜」と思ってしまい、深津絵里になる想像は終了。
NHKで放送されているレイチェルの料理番組をみて「レイチェル・クーになりてぇな〜」と思ったけど、「でも料理したあとって片付けがすごいめんどくさいんだよな〜」と思ってしまい、またもや想像は終わり。
「いや、待てよ。三国志の諸葛亮孔明になって、軍師でブイブイいわせたい」と妄想しましたが、「でも上司に命かけたり、軍の規律を守ってまで信頼してる人は殺せないわ」とまたしても想像終了。
「あ!そうだそうだ!コロ助になりたい!」と思っても、「でもあんなにコロッケを好きでいる自信ないな」と、今の自分がそれほど好きでもないコロッケを急に愛する自信が持てずに断念。
疲れたり落ち込んだりしたときは、缶ビールを煽りながら「あぁ〜君たち(飼い猫のスミ&ぶん太)になれたらどれだけ幸せなんだろうな〜」と思うのですが、「でも君たちは缶ビールを飲めないんだよな」と我に返って人間に生まれて良かったと思い直します。
結局、わたしは「〇〇になりてぇな〜」と憧れても、対象の置かれている環境をよく考えてみると「やっぱり自分が一番だわ」と思ってしまう、なんともハッピーな人間です。
一瞬は「〇〇になりたい」と考えるけど、すぐにデメリットを探してしまうのです。「〇〇になったら、今の自分のやりたいことはできないし、今経験してることもできなくなるのか。でも、自分に見えていないものが見えたり、このままの人生ではありえないことが経験できるのか」と一回思ってしまうと、頭がかなり混乱します。
混乱しているうちに挙げ句の果てには「う〜〜〜ん。まあ、自分が一番か……」という至ってシンプルで、なんの面白みもない結論に達します。
最近はやっと自分を少し好きになれているし、いま「〇〇になりたい」と真剣に考えると、「なんでわたしは〇〇じゃないんだろう」とネガティブに思い詰めてしまって収拾がつかなくなるんじゃないかと不安になる。
やっと自分を好きになりかかっている段階だから、今だけは「〇〇になりたい」というのは考えないことにしようかな。
でも、やっぱり「〇〇になりたい」と思うもの・人はたくさんいる。「〇〇」の良いところをたくさん集めて、それをまるまる自分に取り入れられたらいいのに。
それができたら、わたし無敵かも。
追伸。
〈無邪気な作品〉に触れると、知らず知らずのうちに落ち込んでいたり、疲れていたりしたんだな、と思うことがしばしば。
藤岡拓太郎さんの『大丈夫マン』という漫画を読んだら、「うん、大丈夫」って思えました。