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普通の大学生が世界的指揮者と出会って人生変わった話#4学生指揮者誕生
前回の記事はこちら
みなさんこんにちは!Ryuです。前回の記事では4月になったばかりの投稿でしたが、忙しくしているうちに4月も中旬となってしまいました。私は春生まれで一年の中で今頃が一番好きなのですが、心地よい季節はあっという間に過ぎてしまいますね。
さて、前回は先輩の生い立ちから大学入学までを紹介しました。今回の記事からは、先輩が世界的指揮者になる一番のきっかけとなった大学時代、そしてその後指揮者になるまでの異色のキャリアを書いていきたいと思います!
また、本筋とはそれてしまって申し訳ありませんが、今後も定期的に投稿をしていくために記事のスタイルをよりコンパクトにし、代わりに高頻度の投稿を目指していきます!
大学入学後、人生を決定づけた第一の出会い
前回の記事の最後に書いた通り、先輩は早稲田大学に入学して早稲田大学グリークラブに入りました。当時から早稲田大学グリークラブは、慶応、関西学院、同志社と並んで「東西四大学合唱連盟」、通称「四連」に所属する名門であり、私と先輩が所属していた高校の音楽部からは今でもこの四つの大学合唱団に憧れて受験をし、人によっては浪人さえ厭わず入ろうとする人が絶えません。この4つの大学合唱団によって定期開催される「東西四大学合唱演奏会」は、1952年から続く長い歴史を誇り、世界の第一線で活躍する多くの指揮者がその舞台に上がったことでも知られています。
その一人が、当時早稲田大学グリークラブでタクトを振っていた福永陽一郎先生でした。先輩はこの福永先生を生涯の恩師として大学在学中の4年間本格的に指揮を教わることとなります。当時、福永先生はオペラ歌手の藤原義江さんが創設した「藤原歌劇団」の初代指揮者をしていらっしゃる傍ら、早稲田大学グリークラブの客演指揮者としてもご活躍されていました。先輩は福永先生から指揮法を教わる中で、3年生からは学生指揮者として、先ほど紹介した東西四大学合唱連盟で指揮台に立ちました。このように、大学時代における指揮とのかかわりはまさに先輩にとってプロ指揮者への助走といえるものでした。
こうして先輩は順調にプロ指揮者への道を進み始めるかといえばそうではなく、むしろその後の道は険しいものでした。先輩の前に立ちはだかる壁、それは、「プロ指揮者は音楽大学を卒業していて当然」という、ある種の学歴的なハードルに悩まされることとなったのです。
大学時代音楽との関わりをより一層深めた先輩でしたが、先輩がプロ指揮者として世界で活躍するのはまだまだ先のことです。今回の記事では大学時代に着目して書かせていただきましたが、今後は大学卒業後先輩はどのようなキャリアを積んでいくのか、そこからまた記事を書いていきます!
それでは次回の記事もお楽しみに!!