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普通の大学生が世界的指揮者と出会って人生変わった話 #2 壮大なプロジェクト

前回の記事はこちら

こんにちは!Ryuです。このnoteでは私が出会った世界的指揮者の先輩がコロナ禍で実施しようとしていることについて少しずつ紹介しています。前回は私と先輩との出会いについて簡単に紹介しました。今回は高校で音楽部に入った理由となったプロジェクトについて書こうと思います。

ニューヨークに行ってオーケストラと共に歌える!?

前回の記事ではあえて隠していたのですが、「あるプロジェクト」とはまさしくタイトルの通り、音楽の世界的中心といっても過言ではないNYで、なんと現地のプロのオーケストラと共に合唱ができるというものでした。まさしくこのプロジェクトこそ、先輩が立ち上げたものであり、日本の合唱のスタイルを覆すような斬新なものでした。

プロジェクトの発端は2011年3月11日に発生した東日本大震災です。被災した高校生たちが、将来的に自分たちの手で復興していくためのノウハウ、つまり新しい東北をつくるための知恵を育むような教育をすることをが真の復興につながるのではないか?...という先輩の想いから、このプロジェクトは始まりました。そして先輩は被災地の高校合唱団をNYリン カーン・センターに招聘し、高校生ボランティアとともにコンサートを創り上げていくという教育プログラムを目指しました。

そして2012年3月28日、NYリンカーンセンターにて第一回公演が行われ、 日本からはおよそ150人の学生が東北から海を越えて合唱を披露しました。学生はNYでの滞在中、共演する現地の大学生およそ80人と英語でコミュニケーションをしたり、プロのオーケストラとのリハーサルを行いました。東北の復興を支援して貰ったお礼、そして将来の社会を担ってゆく高校生が本気で合唱と向き合う姿を世界に発信し、第一回公演は無事終了しました。

プロジェクトに対する想い

「高校生の合唱はアマチュアではあるものの、東北の合唱団は全国的にも強豪として知られている。彼ら・彼女らが一つの目的に向かって集中した時、プロのコーラスを越える瞬間が垣間見えた。世界的にも類を見ない日本の合唱文化を、国内のコンクールや演奏会だけでなく世界に発信すべきだ!」

当時を振り返って先輩はこう語っていました。この想いは第一回からずっと変わることなく、私が高校生として参加した時も、そして今も一貫しています。そして私は、プロジェクトを通じてこの想いに共感し、今迄5年間先輩の元でこのプロジェクトに関わり、普通の学生生活では得られない体験をし、多くの人に出会ってきました。数多くのプロジェクト参加者(通算のOB・OGは1000人を超えます!)の中でこうして先輩と今も繋がり、プロジェクトの制作・遂行に関わることが出来ていることは本当に光栄なことと思っています。まさに私の人生を変えた人と言っても過言ではないと想い、このようなタイトルでnoteを書かせて頂いております。

さて、今回の記事は先輩が立ち上げた壮大なプロジェクトについてご紹介したつもりですが、上手くお伝えできたでしょうか?記事を書く中で思い出してきたことも多々あり、少し筋道が外れてしまったかもしれません。少しでも先輩がやってきたプロジェクトを知って頂ければ幸いです。

第一回と第二回で私と先輩との関わりについて簡単に書きました。次回の記事からは、私と同じ高校にかつて通い、音楽部員として合唱していた先輩がどのようにして世界的指揮者として世界に名を馳せるようになったのか?その生い立ちから現在までを数回に分けて紹介していきたいと思います!

ここまでお読み頂きありがとうございました。

それでは次回の記事もお楽しみに!