普通の大学が世界的指揮者に会って人生変わった話#3先輩の人生
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こんにちは!3月も下旬に差し掛かり段々と暖かくなってきました。皆様いかがお過ごしでしょうか?という挨拶を下書きに保存していたら4月に入ってしまいました。Ryuです。春は出会いと別れその他諸々忙しい季節。時間が流れるように去っていく今日この頃、いかがお過ごしですか。
さて、前回と前々回の記事では、僕と同じ高校出身である「先輩」との出会い、そして先輩が立ち上げたプロジェクトについて簡単に説明しました。今回からは如何にしてただの高校生だった先輩が世界で活躍する指揮者になったのかを少しずつ明らかにしていきたいと思います!
先輩の生い立ち
先輩は1964年生まれの57歳。大学生の僕とは30歳以上年上の大先輩です。話によると、ミッション系の幼稚園に通っていた幼少期は3歳からピアノを学び始め、小学生の頃には毎週日曜日に教会の礼拝でオルガンを弾いていたそうです。すごいですよね。私は高校の時に合唱を通してキリスト教音楽と出会いましたが、宗教曲を歌う時って曲の背景や宗教観、キリスト教世界については聖書の理解など、技術だけでなく「精神」を知っていないと本質を歌えないと感じました。先輩は幼少期からその精神を知らず知らずのうちに身に着けていたことでしょう。そして中学校ではビートルズやゴダイゴのコピーバンドを結成していたそうです。バンドではどのパート担当だったのでしょうか?やっぱりボーカルなんですかね?今度聞いておきます(^^
高校時代~大学入学まで
そして高校では男声合唱を始めた先輩ですが、当時の仲間とは今でも一緒にご飯に行くくらい仲がいいそうです。高校の同期と30年以上も親しいってすごいですよね。私はいまだに仲がいい高校の同期が2人ほどいますが、彼らと30年以上付き合い続けることができたら素敵だなと思いますし、先輩の友達からしたら高校の部活の仲間が世界を股にかける指揮者になっているって誇らしいのではないかと思いました。同じ高校の後輩である私も、きっと数十年後には友達がスゴイことをしているんだと思うと、自分も何かしら世界的に活躍していたいと奮えます。
そして1年間の勉強の後先輩は早稲田大学に入学します。先輩が早稲田に入った理由、それは早稲田グリー(早稲田大学の男声合唱団)に入って合唱を続けたかったからなんです!恐るべき合唱愛ですね。私も同じ高校の合唱部後輩として共感できるのですが、合唱って結構中毒性が高いんです。高校3年間である程度歌えるようになると、その後は歌わずにはいられない体になってしまっているんですよね。大袈裟に言えば、高校3年間の合唱経験が先輩の指揮者人生を運命付けたといってもいいのかもしれません。本格的に指揮者としての才覚を発揮するのは早稲田グリー時代ですが、そこでも同じ高校から早稲田グリーに進んだ同期の方がいたそうです。私の高校の同期にも、また先輩にも早稲田グリーに進んだ仲間がいますが、先輩のDNAは脈々と受け継がれているようです。
さて、ここまで先輩の生い立ちから大学入学まで大まかに先輩の人生を辿ってきました。次回は先輩の指揮者人生のスタートとなる早稲田時代から大学卒業後まで、そしてなぜ音楽大学出身ではないのに先輩は世界に認められる〝マエストロ〟になれたか?等、先輩の人生の核心に触れる記事を書いていく予定です!是非お楽しみにお待ちください。