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世界がひっくり返るアジールという見方。建御名方命と諏訪のむすび。



封印された?建御名方命


ここ数日、またしても伊那についてのワードがやってくる。伊那とのご縁についてはこちら

昼神温泉、阿智神社について調べているうちに、あちこちへ飛び、諏訪神社の御祭神である建御名方命に行き着いた。


実は、これだけ日本各地の神社を旅しているのに諏訪大社はまだ訪れたことがない。。。順番的に最後の方になるのだろうと思っていたが、移住する時を待ってくれていたかのようにこのタイミングで調べることになるとは笑


建御名方命と言えば、神話 国譲りにおいて「タケミカヅチとの戦いに破れ諏訪の地までなんとか逃げて、絶対にこの地を出ないことを条件に命拾いをした」という敗者的な書かれ方をしたものが多い。全国の神々が旧暦の出雲に大集合するときも、建御名方命は参加できないとも言われている。

そして諏訪大社は、長野県の諏訪湖周辺に4箇所のお宮があり(上社/本宮・前宮、下社/秋宮・春宮)それぞれ4本の御柱が建てられている。


これまで、色々と考察をしてきた中で4本の御柱にしろ、書かれ方にしろ、建御名方命は封印された存在だと思っていた。


しかし、この記事を見つけた時にひっくり返った。
https://www.asahi-net.or.jp/~wy4h-isym/izumokarayattekita.pdf


アジールという見方

アジールとはドイツ語Asylで聖域を意味し,避難所・平和領域などとも訳される。アニミズムが支配的だった原始社会では,自然のなかの神々が宿る,また神々が出現すると考えられた森・山・河原,さらには巨木・巨石などのある空間がアジールであった。この自然のアジールはその後も継承されるが,同じ観念のもと,社会発展のなかでアジールは再生産され,神殿,寺院,王の居所,市場や,先祖の魂が宿るとされた屋敷などが不可侵の聖域とされた。

https://kotobank.jp/dictionary/yamakawanihonshi/

共通する風習が中世ドイツにもありました。追われた犯罪者が四本の柱で囲まれた場所に逃げ込めば、役人も手出しができなかったと言われています。

https://www.asahi-net.or.jp/~wy4h-isym/izumokarayattekita.pdf


これを読んだ瞬間、「あれ?封印されていると思い込んでたけど、もしかして追い詰められたんじゃなくて、周りが手出しできなかったんじゃない?!」と見方がガラリと変わった瞬間、だから御柱祭ってその神域を守るためにあるのかと腑に落ちまして。

というもの、この御柱を立てることの意味について、平安時代初期に最初の記録があるが、縄文時代の自然信仰の名残という説があったり、神域を守る結界という説、他にも仏教由来や陰陽五行由来など、さまざまな説があるみたいだが、その起源や由緒などははっきりとはしていないらしい。


4本の柱という結界を張られ、諏訪の地に閉じ込められたと思っていたけど、聖域であることを知っていて、あるいは導かれるようにその地に入り、身を護ったのだとしたら…。神話の読み方も、歴史の見え方もひっくり返るなと思ったのでした。


冒頭に出てきた、阿智神社がある場所は信濃の入口・要所にあたる場所。天孫族と出雲系諏訪族との戦いがあった場所で建御名方命が出てこないように天思兼命が見張っていたと言われているけど、もしかしてこれに関しても出て来ないように制圧してるんじゃなくて一歩も入れなかったから外から見るしかなかったんじゃないかなとも思ったり。笑

そもそも、諏訪明神として建御名方命が祀られるようになる前の土着の神様はミシャクジ=大地の精霊、つまりアジールの考え方そのものだから、なんかそうなのかもって、自分の中ではこの説が有力。

そして、偶然か必然か…
日本三大霊山=立山・白山・富士山を結ぶとちょうど諏訪が三角形の中に入る。。。ここにもアジールと言われる所以がありそう。


なぜ、諏訪の地に辿り着けたのか?土地とのむすび


建御名方命は出雲の美保から能登の羽咋市を経て、長岡→長野→上田→武石峠→松本→塩尻、そして諏訪に辿り着いたと言われている。アジールとも言える土地に辿り着けたのは、果たして偶然なのだろうか?わたしは、導かれたのだと思う。



というのも、建御名方命の父は大国主命、母はヌナカワヒメ
大国主はその名の通り、国造りの神で全国に妻が100人以上いるとされていることから全国の土地とのむすびがあっても不思議ではない。
母親であるヌナカワヒメは越の国の女王であり、日本の国石 翡翠の生みの親である。また、大国主命との間に、御穂須々美命みほすすみのみことという女神も産んでおり、建御名方命とは兄弟関係にあると考えられる。


さらに、御穂須々美命みほすすみのみことは出雲の美保神社、能登の須々神社の御祭神であり、建御名方命が美保から能登へ渡り、長岡から長野へ入ったのも決して偶然ではないと考えられる。


奇しくも、わたし自身が祈りの旅をする中で出雲はもちろん、ヌナカワヒメが生まれた場所をはじめとする糸魚川、御穂須々美命がいらっしゃる美保神社、須々神社に参拝している。(ちなみに、御穂須々美命を知ったのは去年7月、須々神社に行ったのがきっかけ)


さいごに

封印されている、封印を解かねば!と思い込んでいた時には参拝できなかったし、順番があったのだと、今になって理解。ようやくその時が来たんだな…(しみじみ

土地とのむすびを理解した上で参拝するのと、何も氣づかないまま参拝するのとでは感じ方、受け取り方が全く違ってくるから。
ご挨拶にいけることが楽しみだーーー(4月に参拝予定)参拝して感じたことをまたシェアします!


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