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四国へつながる鍵
ふと気になった品川神社へ、久々に行くことにー
御祭神、どなたでしたっけ?と調べてみてびっくり。
忌部氏の祖神である天太玉命の后神
天比理乃咩命がいらした。
忌部氏といえば、もうすぐ出発する四国の旅、阿波忌部に直結する。
出発前に呼ばれたのか?と思いつつご挨拶。
「本殿裏へ」と言われたので、改めて本殿裏で手を合わせると「忌部の真の立役者。わたしの系譜を辿りなさい。」というメッセージ。立役者?系譜?
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「まず父親」と、文字が伝わってきたので調べてみると…尾張氏の祖神天背男命 / 別名 天石門別命?
下調べをする中、天石別八倉比売神社もノートに書いていた…
天背男命と八倉比売の娘が天比理乃咩命であり、天太玉命の妻となる。
さらに、天比理乃咩命の兄弟に阿波忌部の祖とされている天日鷲命!!
ここで脳内パニック
え?天背男命は尾張の祖神なのに、なぜ息子である天日鷲命は阿波忌部の祖なの?
調べてみると、天日鷲命は天太玉に従う一柱であり阿波の地を担当したことから阿波忌部になったようだ。
■忌部五部神
天太玉命に従った五柱の神が各地に分布しました。
天日鷲命→阿波忌部氏
手置帆負命→讃岐忌部氏
彦狭知命→紀伊忌部氏
櫛明玉命→出雲国玉作氏
天目一箇命→筑紫・伊勢国忌部氏
古代の史料には「忌部」が多く見られますが、これらは2種類に分けられます。(1)中臣氏と並んで朝廷の祭祀を担当した忌部氏、(2)忌部氏に従属して王権に奉仕した職能集団である地方忌部です。阿波忌部は後者の一例です。地方忌部は阿波のほかにも、讃岐、紀伊、出雲などに置かれました。また、阿波忌部の一部が、房総半島に移住したともいわれています。
んー??元を辿れば、尾張氏の血の方が強いわけで天太玉に従う一柱、という文言が引っかかる。義理の兄弟とはいえ、なぜ阿波忌部になったのか?
他にも引っかかる点として、大麻比古神社の御祭神だ。大麻比古という名がついているのに、大麻比古=天太玉とされている点。
天日鷲命の系図を辿ると、天日鷲命の子どもに大麻比古がいる。大麻比古神社の御祭神である大麻比古は天太玉ではなく、天日鷲命の子である大麻比古ではないのか?
その根拠は大麻比古神社の奥宮である峯神社の御祭神が津咋見命であることからも伺える。津咋見命=大麻比古命の別名だからだ。
仮説かつ妄想だけれど、今回の四国の旅のキーワードがモトアケならば天太玉の后神=天比理乃咩命は尾張氏(父/天背男命)の血筋であることから
四国といえば、阿波忌部がフォーカスされがちだが、モトアケ=原点はもしかしたら尾張氏の方なのかもしれない…
調べていると、さらに気になることが出てきた。
天比理乃咩命の母である、天石門別八倉比命のことだ。
長くなるので、次の記事で書こうと思う。
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