悪夢からの救済#09

僕はよく悪夢をよくみる。
それはそれはとてもつらい。
誰だってそうだ。見たくないような夢を見るときくらいある。
それに反して、幸せとまでは言えないけれど、それに近い夢やなんでもない夢をみるときもある。
ほぼ365日、眠りつくと目を覚ますその時まで夢を見ている。
いつもの使い古された僕にとってはすごく心地の良い薄いブルーの毛布の感触を確かめて
それが夢だったと気づく。
ものすごく現実に近いような夢から
現実離れした夢。
幸せな夢を見た後はもう少しその夢の中に居たかった。と思ったりもした。
だが、ふと夢についてぼんやりと考えていて
この歳になって気づいた。
悪夢の方が断然良いのではないか。


だって目を覚ましたとき、夢でよかったと
誰もが心から思うはずだ。
少なくとも僕はそうだ。
かえって、幸せな夢を見たときはどうか。
目を覚まして、現実にうんざりする。
もちろん悪夢を見ている最中は
一刻も早くそこから逃げ出したい。
必死にもがくが、なぜか依然として歩が
進まない。走っているはずなのに。
悪夢と一口に言っても人によって
カタチは違うと思う。
その人からすればなんでもない夢が
僕にとっては悪夢だったり、逆も然りだ。
悪夢を見ることは今の現実が少なからず
良いものに思える。
いつもの天井がそこにある。
呼吸の仕方を忘れたかのように息をしている自分に気づいて煙草に火をつける。
悪夢を見た後にすぐに眠りにつくと
その続きを必ず見てしまう。
だから煙草を吸って少し時間を置く。
その間に
夢と現実を切り離して考えることができる。
ああ、これが現実でさっきのは夢か。
時計に目をやると決まって二時頃だ。
世界は静かでまるで僕ひとりしかこの世界に
居ないかのような錯覚も生じる。
自分を取り巻く現実に嫌気がさすのは
もっと優れた人間になるはずだった、
という思いや、今の自分とそれよりも幸福そうな人間を比較するからだ。
だから、世界に僕ひとりしかいないのだとしたらもう現実から逃げるように眠ることもない。だからその深夜二時から空が白んでくるまではある意味では幸せだったりする。
そう考えると悪夢も悪くない。
なぜ、夢について話したかというと、
ひかると連絡先を交換してからは
お互い眠る前になると、メールをしたり、
通話をすることが決まり事のように
なっていた。
そして、眠ろうか。となると決まって
彼女は言ってくれた。
「もし、怖い夢や嫌な夢をみたら、連絡してきていいからね。」
僕が毎日夢を見る体質なのを話してからは
必ずその言葉をおやすみの代わりのようにして通話やメールをやめる。
それまで僕にはそんな言葉をかけてくれる
相手はいなかった。
そしてこんな夢を見たんだ。と話したところで夢でしょと笑われるに決まっている。
そう決めつけていた。
彼女のその言葉にそれからどれだけ
救われたか。
以前のような僕にとってのトラウマであるような夢や怖い夢を見ることは少なくなった。
代わりに見るようになった夢がある。
ひかるがいなくなってしまう夢だ。
仲よさそうに僕ではない誰かと
手を繋ぎ歩いているところを見たり、
突然連絡がつかなくなったり、
そういった夢は僕の中でのひかるが
どれだけ大切な存在か再確認させてくれるものでもあった。
そして夢でよかったと安堵する。
最初のうちは躊躇っていたが、
次第にこんな夢を見てさと
メールを送るようになった。
深夜二時に送っても
ほどなくして返事が来る。
この子、いつ寝てるんだろう。
と、不思議に思っていたものだった。

答えは考えても見つからなかったが
僕を気にしてくれている。
それが心に強く刻まれた。

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