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「秋夜の月」  心を止めて見きけば(5)

今日11月16日は、満月でビーバームーンとも呼ばれている。
いわゆるスーパームーンで、晴れていれば夜空に大きな月を見ることが
出来るのだが、残念ながら筆者の住んでいる京都府は生憎の曇り空だ。
お月さんは見えません。それでも満月の不思議なパワーを感じている。

劉伯温のこと

話は変わるが、中国の元末、明の時代の学者、政治家に劉基(りゅうき、
1311年-75)という人がいた。字は伯温で、筆者の尊敬する人物である。

ご存知の方も多くいらっしゃるかもしれないが、簡単に略歴を記すと、
元末進士に合格し、江西・浙江両省で地方官となり、その方面の反乱の鎮定に功をたてた人である。
南京で、朱元璋(明の建国の英雄、洪武帝)に出合い、その力量を認められる。朱元璋は劉基(伯温)を極めて高く信頼し「我が子房(漢の名軍師張良のこと)」と呼ぶほどであった。

劉伯温は軍師として天下統一の業を助け、特に陳友諒・張士誠の平定に功績を上げている。

劉基の肖像画(wikipediaより引用)

伯温は日本ではそれほど知名度は高くないが、かの国では三国時代の諸葛孔明と並び称される大軍師で英雄である。
そして、明代の小説や講談に主役として取り上げられたことが多いそうだ。
ここでは伯温は予言者として描かれている。これら予言書の中で名高いものが『焼餅歌』(シャオピングー)である。
また、四柱推命の古典で名著として評判の高い『滴天髄』も劉伯温の作といわれている。

伯温は明が成立すると太史令から弘文館学士にすすみ誠意伯に封ぜられ、主に綱紀粛正に取り組んだ。1371年(洪武4)退官し,数年後に病で亡くなっている。

劉伯温は洪武帝の建国を補佐した軍師で文官だが、元々は学者であり多くの著作も残している。その性格は雄邁廉直と称されている。特に、天文・兵法・数理などに精通し、文は宋濂(1310年-81年、中国明初の学者、政治家)と肩を並べ、詩は高啓(1336年-74年、中国明代初期の詩人)に匹敵するといわれる。

そこで伯温先生の詩を一つ紹介しよう。

「秋夜の月」

秋夜の月  黄金の波
人の哭するを照らし 人の歌うを照らす
人歌い 人哭し  月長(とこしえ)に好し
月欠け 月円かに 人自ずから老ゆ

晩秋の夜は長い.
過去の偉人の詩を吟じながら、過去や現在そして将来のことに
思いをはせるのも一興ではなかろうか。

                 (2024.11.16 Ryu3)

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