勝手に易サイト(3)-②続 斎藤元彦知事は辞職するか。
前編で筆者は、「斎藤知事は何があっても、少なくても年内に辞職することはないだろう」と見立てた。
知事はマインド・コントロール(SMC)されている。
ところで、何故ここまで斎藤知事は知事の椅子に執着し、潔い辞職を拒むのだろうか。
その生い立ちや、名前の由来、自治省の官僚時代の体験がその理由であるという意見が多いが、ここでは少し異なった視点からその理由を探ってみたい。
斎藤知事は、百条委員会の答弁やその前後の記者会見で、質問に対して部下の職員の自死に対して、極めてそっけなく「残念に思う。お悔みを申し上げます」とか、「道義的責任の意味がわかりません」と話ている。
知事の感情を現わさない表情や、眼の視点が虚ろに中空を彷徨う姿を見て、
筆者は「この人はマインド・コントロールを受けている」と感じた。
マインド・コントロール(MC)という言葉は、近頃あまり耳にしないが、
1995年のオウム真理教の故麻原彰晃教祖が、部下に命じて起こした「松本サリン事件」「地下鉄サリン事件」の時に盛んに使われた言葉だ。
マインドコントロールとは、操作者(この場合は教祖)の強い影響で、
被操作者(オウム真理教の幹部=実行犯)の精神過程や行動、精神状態を操作して、操作者の命令通りに意思決定、行動へと誘導することである。
この状態に陥ると、いわゆる社会的通念の善悪や道徳上の判断が自分で出来ず、操作者の言葉に操られた行為をしてしまう。例えば窃盗や殺人もおかまいなしに実行してしまう。オウム真理教の幹部で、サリンを製造したり、事件を実行した犯人たちの多くが、有名な理工系国立大学の出身で成績も優秀だった。そんな彼らが何故、このような事件を起こしたかという原因の一つにこのMCが論じられた。
斎藤知事もこれらの犯人たちと共通の心理状態にあるように見受けられる。
(犯罪者と同列ということではなく、心が制御されているという意味)
そしてこの斎藤知事を操る操作者は自分自身である。
ちょうど催眠術で第三者によって催眠状態になるのでなく、自分自身が
催眠状態に陥らせる自己催眠のような状態である。
すなわち「セルフ・マインド・コントロール状態に陥っている」のではないだろうかと推定する。斎藤知事の心の中の、あるべき知事像を実現しようとして、脳又は心の無意識の領域で自らが自らに命じて、自分の思い描く理想の知事像を演じている、というのが推定仮説である。
筆者は脳科学や真理学の専門家ではないが、この推論はそれほど間違って
いないと確信する。
この知事のマインド・コントロールが解けない限り、自ら反省することも、
知事を辞職することも難しいのではないか。
知事の権限の監視の必要性
それにしても首長としての知事の権力の大きさを、今回の問題で改めて
痛感する次第である。斎藤兵庫県知事の前にも、例えば川勝平太静岡県
知事は、度重なる失言や行動、リニア新幹線問題で平静とは思えない議論を
延々と続けたが、知事を離職させるまでに多大な労力と時間を費やさざる
得なかった。
また、玉城デニー沖縄県知事は、名護市辺野古の地盤改良工事訴訟に関して、最高裁で県側は敗訴したのに関わらず、その命に従わなかった。民主主義の根本原理の「法の支配」を無視するという許しがたい行ないをしたが、
いまだに知事職に就いている。
このような事例を見ると、絶大な権力を得る首長に対して、それを監視し、
問題がある場合は速やかに是正させる仕組みが必要に感じる。
議会や司法に牽制機能はあるが、時間がかかる、例えば自治体オンブズマン制度の機能強化などがそれにあたるのかわからないが、何か国として
対策を考えてほしいものだ。
易の陰陽原理について
話は変わるが、易の原理について少し解説を加えて、本稿を締めくくりたい。
易の原理はご存知のように陰陽二元論である。上記に示すように陽の
記号は天、剛、男性、大、太陽、歯などの象意を表し、陰の記号は、大地、柔、女性、小、月、唇などの象意を表わす。
易で興味深いのは、この陰と陽は固定された絶対のものではないということである。
陰と陽は互いに対立しながらも、相手側の存在に寄りかかった共存の関係にあると説かれている。一方がなければ他方も成立しない。そして互いに対立しながら互いに依存し、絶えず変化をしている。対立・依存・転化が自然界の法則であることと一致している。
従って立筮によって得られた八卦も、その占いをした瞬間の状態を示したもので、時間の経過によって変わっていくということになる。これが易が他の占いとの大きな相違点であり、易の神髄といえるところでもある。
易の卦はいろいろな象意を示すが、おみくじと異なり単純に吉とか凶とか判断できない理由もここにある。
例えば日なたもいつかは陰るし、日陰に日もさすこともある。
根っからの悪人が善行をすることもあり、周囲から善い人といわれていた人が魔がさすというか凶行に及ぶこともあるというわけだ。
欧米で易が「変化の書」としてもてはやされた所以でもある。
前編で斎藤元彦知事の去就に関しての立筮で 『11.地天泰』という卦が出て
「この世の春、安泰、万事が順調」という象意があると説明した。
しかしながら、『泰』は満月の輝きであり、それ以降は必然的に欠けていく宿命にある。
そして『泰』の互卦(ごか)は『54.雷沢帰妹』であり、「征(い)けば凶」、綜卦(そうか)は『12.天地否』であり、こちらの象意は「行き詰まる」。
その人の今の生き方に最大限の警報を出している。
それまでの順風満帆の人生も、因果応報で自分が行ってきた行為によっては
遭難するような嵐に見舞われるかもしれない。
(2024/9/21 Ryu3記)
注:互卦、綜卦は別途、機会を設けて詳述したい。
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