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形式知の正体を暴く

前回、ポランニーの暗黙知と野中の暗黙知の違いについて見てきた。この記事で暗黙知と書く場合には、特に断りがない限りにおいて、野中のいう暗黙知を指す。つまり、暗黙のうちに知ってしまう知のはたらき=Tacit Knowing(動詞)ではあく、身体に宿る言葉になかなかできない知識=Tacit Knowledge(名詞)である。

この暗黙知に対して、野中は形式知を対置させる。繰り返しになるが、ポランニーはこのような概念整理はしていない。野中は図1のように整理する。これはポランニーの用語とは異なる。

図1 暗黙知と形式知の比較(出典 野中・竹内『知識創造企業(新装版)』)

具体的に、どのように「形式知」が紹介されているのか、書籍の中の定義をもう一度見てみよう。

文法にのっとった文章、数学的表現、技術仕様、マニュアルなどに見られる、形式言語によって表すことができる知識

野中・竹内前掲書、p14

言葉や数字で表すことができ、厳密なデータ、科学方程式、明示化された手続き、普遍的原則などの形でたやすく伝達・共有することができる。

同、p.32

コンピュータ処理が簡単で、電子的に伝達でき、データベースに蓄積できる

同、p.34

昨日の記事にも書いたように、形式知を実践することで暗黙知を得るという「内面化」の文脈で、GEのコールセンターでのデータベース運用をあげている。普通に読めば、1990年代、デジタルデータによるナレッジマネジメントの潮流に乗るかたちで、このような「形式知」の定義がなされた、と推測するのが自然だろう。

表出化におけるコンセプチュアルな形式知

しかし実は、『知識創造企業』の中で、この形式知のイメージは揺れ動いている。ここで野中のSECIモデル(図2)の中の暗黙知を形式知へと変換する「表出化」のモードにおいて、野中は次のような例を出す。

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