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尾崎豊と龍角散のど飴

あの頃は夜な夜などこへ行くでもなく、友人とぷらぷらしてバイクに乗って(盗んでないです)、くっちゃべってるだけで楽しかった。

という記憶はずっと消えなくて、今でも思い出します。その頃尾崎豊を聞いていたので、尾崎豊の曲を聞くと今でもその頃の風景と記憶が蘇ります。なんだか寂しいような、自由を感じて楽しいような、不思議な感覚が今でも残っているのは、感受性と言いますか、心の琴線が敏感で強く動いていたからだと思います。

パブロフの犬の話を知ってますでしょうか?ベルの音を鳴らす度にエサを与えてると、ベルの音を鳴らすだけで唾液が分泌されるという実験結果です。尾崎豊の曲を聴くと青春時代を思い出すのもまさにそれですが、これはとても使えると思いました。つまり、何かがトリガーになって簡単に情動を起こすことができる。頑張って張り切ってる時のアンカーを探し、それをトリガーとして取り出せば、やる気のない時にモチベーションを誘発することができる。野球ボールを金属バットで打った時の音が聞こえるとやる気物質が分泌される、そういうことです。(野球が嫌な記憶の場合は逆効果です)

私の場合、龍角散のど飴は浪人時代を思い出させます。のどのケアのために食べてたら美味しくてハマってしまい毎日食べていたからです。浪人は勉強で辛いこともありましたが意外といい記憶です。

そしてそういった思い出は意外と大切です。人間の感覚というのは過去の記憶によってつくられているからです。完全に新鮮な感覚というのは少ない。殴られたことがない人も殴られた時の感覚を想像することができます。どうやって?それは過去の何かにぶつかったとかぶたれたとか、痛いと感じた記憶から想像がつくからです。女性の胸に触れたことがない人もその感覚を想像することができます。二の腕などの似たような部位の感覚を知っており、動画などでそれを見たことがあるからです。

つまり記憶から未知のものを想像することができます。逆に言えば何もなければ何も想像することができない。体験が先にあるということです。そして体験、経験は想像の解像度を高めます。だからこそいろいろな体験や経験が大事だということです。なぜならりんごを食べたことのない人にりんごの味を伝えるのは困難だからです。しかしレモンを食べたことのある人に梅干しを食べた時の感覚を伝えるのはおおよそ可能です。あのすっぱさと唾液が出る感じを既に知っているからです。

と、何が言いたいかわかりにくくなってしまいましたが、体験と感受性が想像力にパワーを与える、そういうことだと結論づけましょう。
それでは今日はこの辺で、ありがとうございました!

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