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【ブーイングはサッカー文化と呼べるのか?】三木谷会長の提言について
先日、J1リーグに所属するヴィッセル神戸のオーナーである三木谷浩史氏がこんなポストを投稿して話題になった。
みんなどう思ってるか。知らないけど、Vissel Kobeではブーインやめない。相手も必死、うちも必死。その中で相手に対するリスペクトも、大切だと思う。そんな甘い夢を僕は見ています。 https://t.co/Fdov1BDdGl
— 三木谷浩史 Hiroshi (Mickey) Mikitani (@hmikitani) March 18, 2024
プロサッカーなどではよく行われているブーイング。
敵チームの攻撃を牽制するときや、審判の判定に納得がいかない時、あるいは不甲斐ないプレーをする自チームに対する不満の意を込めてブーイングすることもある。
そんなブーイングに対し、三木谷氏は「カッコ悪い」と表現して、それを止めるという提案をサポーターにしている。
つねにあいてにたいするリスペクトを忘れず、味方を鼓舞する。神戸はそういう事ができる可能性があるクラブだと思っています。国際的に様々なものを受け入れ、日本を代表するクラブになり、日本の新しい象徴となりましょう。
— 三木谷浩史 Hiroshi (Mickey) Mikitani (@hmikitani) March 18, 2024
ブーイングはカッコ悪い。 https://t.co/SQlfIpTu6l
今回は、三木谷氏の提言に対する僕自身の個人的な考えを、高校と大学で得た応援団、応援部の経験も踏まえつつ述べていきます。
ブーイングに対する僕自身の考え
まず最初に僕自身の立場を明確にしておくと、僕はサッカーの応援におけるブーイングはあってもいいんじゃないかと思っている。
勿論、応援において一定のマナーやルールが必要であることは言うまでもないし、ブーイングがこうした規範を逸脱するようなものであってはならないのは事実だ。
しかし、ブーイングは、サッカーの独特な応援文化の表れでもあると言えると思う。
相手チームがボールを保持し、チャンスを演出している時に大ブーイングで牽制することで相手に圧を与えることができる。
この圧こそが、スタジアムの独特な空気感の演出に一役を担っている。
この前、僕は個人的にデンマークリーグのサッカーを観戦してきたのだが、その時もヨーロッパサッカーの独特な空気感、圧を体感したことが今でも鮮明に記憶に残っている。
また、サッカーは感情の発露を制限しないスポーツの一つだ。
選手はレフェリーの判定に納得が行かなかったら抗議のアピールをするし、得点が決まったら壮大にセレブレーションをする。
サポーターも同様に、得点が決まればスタンド総立ちで喜びを分かち合うし、何か不満があれば大ブーイングで抗議の意思を示す。
こうした、感情が爆発する瞬間というのが、サッカーにおける魅力の一つなんじゃないかと僕は思う。
だからこそ、怒りや不満の感情を抑え込むような応援のあり方は、感情を発散させるサッカーのあり方とは相容れないのではないだろうかとも感じてしまう。
それぞれのスポーツの応援文化
サッカーでは、感情を発露させることを制限しない応援文化が成り立っているという話をした。
しかし、感情の発露を厳しく制限するスポーツがあるのもまた事実だ。
最も厳しいものの一つとしては剣道が挙げられる。
剣道は礼儀を非常に重んじるスポーツであり、審判に対する抗議は勿論、喜びを表現することすら許されない。
勝利時にガッツポーズをしてしまったことで、勝利が取り消されたという事例まであるくらいだ。
日本の武道における礼儀作法には、日本に古くから伝わる武士道精神が深く関わっていると考えられる。
こうした、対戦相手や審判を含めた、周りの全ての人たちに対する礼を重んじる精神は日本武道の良き文化だ。
武道で、喜びを過度に表現したり、不満があってブーイングしたりなんてことをするのは勿論ナンセンスである。
ただし、だからといって、同じような応援、振る舞いのあり方が他のスポーツでも通用するかと聞かれれば、そうではないと思う。
結局のところ、各スポーツの文化に合わせた応援スタイルが最適なのだろう。
高校、大学の応援団における経験
僕は、高校時代に応援団の団長を務めていた経験がある。
東大でも、2年の夏頃までは応援部リーダーとして活動していた。
これまで約4年ほど、学生スポーツの応援に深く関わってきたわけだが、その中で学生スポーツの応援文化が非常に特殊であることをところどころで実感してきた。
学生スポーツというより、東京六大学の話になるかもしれないが、まず基本的にブーイングなんて概念は存在しない。
昔は、相手ピッチャーにヤジを飛ばしたり、相手の高校に睨みをきかせたりするような応援団もあったらしいが、今ではほとんどない(と思う)。
また、試合の開始前と終了後には、相手校に対して激励の意味も込めてエールを送る。
相手校に対して、「お前も頑張れよ!」というようなメッセージを送るわけだ。
これ以外にも色々あるが、全部語るとキリがないのでこの辺にしておく。
とりあえず、相手にプレッシャーを与えるということは考えず、相手に対する敬意を表しつつ、ひたすら自分達のチームを鼓舞することに集中するという応援スタイルだ。
こうした文化は、相手に対するリスペクトや礼儀の精神が存分に表れたものである。
同時に、他者に対する思いやりの心を忘れないという教育的側面もあるのかなとは思う(特に高校スポーツとかでは)。
三木谷さんが理想とする応援スタイルというのは、一種こうした学生スポーツにおける応援スタイルと近しいところがあるのではないだろうか。
ただ、これは先ほどの剣道とサッカーの違いと似たような話で、学生スポーツには学生スポーツの、プロスポーツにはプロスポーツの応援文化があるということで良いのではないかと思う。
どちらが優れているわけでもないし、どちらが劣っているわけでもない。
それぞれに良さがあるのだから、それぞれの文化に合わせた形で応援スタイルを発展させていけば良いのではないだろうか。
三木谷さんの発言について
僕は、三木谷さんがチームの発展のために新たな提案をしていること自体は、すごく良いことだと思う。
こうした影響力のある人が積極的に自分の意見を発信してくださることで、議論を巻き起こすことができるし、新たなサッカーのあり方を模索するきっかけにもなる。
しかし、応援のあり方については、僕は人から何かを言われるのは少し違うのかなという気もする。
僕が高校大学で応援していた時、最もつまらなさを感じた瞬間というのは、他人から「こういう応援をしろ」と指示される瞬間だった。
応援というのは本来、自分がそのチームに勝ってほしいという思いを、何らかの方法で表現する行為のことだ。
その人なりの「勝ってほしい」という強い想いを表現しているものであれば、それは立派な応援であり、そこに優劣はないと僕は思う。
だから、他人から「こういう応援のほうがいい」とか言われる筋合いはない。
応援は、自分自身の強い思いから自発的に生じるからこそ楽しいのであって、他人から言われる応援のロールモデルに従っていたところで何も面白くないだろう。
だから僕は、各々が各々の思うような応援を好きにするのが1番いいと思っている。
勿論、そのスポーツにおけるマナーやルール、一定の倫理観をしっかりと遵守していればの話である。
最近ではJリーグでも、勝てなかった自チームの選手達に酷い暴言を吐かせていたり、誹謗中傷とも取れるような発言をしている人達も結構見かける。
当然ながら、こうした行為は決して許容されるべきではない。
三木谷さんの発言は、こうした、過度にリスペクトが欠ける人達に対する警告の意味もあったのではないだろうか。
僕はそう解釈している。
長々と綴ってきたが、勘違いされたくないのは、僕自身はサッカー観戦でヤジを飛ばすこともブーイングをすることも一切しないということだ。
僕は基本サッカーを分析しながら、1人で静かに見るのが好きなので、指定席で観戦している。
なので、ブーイングはおろか応援すらしていないという見方もあるかもしれない。
でも、僕は今のマイペースに応援を続けられる生活がとても楽しく充実している。
勿論学生時代に経験した応援も楽しかったし、色々なものが得られた。
応援における絶対の正解なんてものはないと思うし、色々な考えがあっていいと思う。
皆さんはどのように思われるだろうか。