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【卒業〜3年間を通じて〜⑦】3年男子主将:J進学コース

空手が変わった瞬間


私が3年間、空手道部の活動で学んだ事は、人は何らかのきっかけで変われるということです。
そして好奇心に勝るものはないという事です。

私には明確に自分が変わったという出来事があります。

それは1年生のとき、和歌山で行われた近畿大会です。
選抜大会への切符がかかった大会で自分は団体形のセンターとして出場していました。
先輩方もいるなかで自分をセンターとして選んでいただき、センターとして恥じぬ動き、そしてチームを選抜へ導くつもりで大会に臨みました。
第一ラウンドは2位で難なく通過し、自分たちの練習が無駄ではなかったことに嬉しさを感じました。
しかし第二ラウンド、序盤は安定感があり順調に進んでいたのですが終わり直前、大きな合図をする事で減点を恐れた僕は、合図を小さくしてしまいそのせいで後ろに合図が届かず大きなズレを生んでしまいました。

結果は6位で第二ラウンド敗退。

試合の後、先輩方は「俺たちのせいだ」と声をかけてくださいました。
ですが、あれは明らかな自分の判断ミスでした。
その後、自分の席に戻り観客席から自分たちがあがれなかった舞台で形をのびのびと打つ人たちを見た時の悔しさと後悔、そして何よりも次は自分がこの舞台あるいはもっと大きな舞台で勝ち上がるんだと決意した気持ちは今でも忘れません。


目指すは日本一。

どんなときもこの目標を強く持ち、どんなにキツいメニューでも自分を鼓舞し続け勝ちにこだわり練習に励みました。

次第に練習以外の時間でも空手の事を考えるようになり、生活の中心が空手でした。
どんな筋トレすれば形に生かせるのか?
どんな食生活をすればいいのか?
自分なりに研究して日々を過ごしました。
目標は日本一になることそれだけです。

徐々に空手への熱意も強くなり、日本一になるということを口にするようになりました。
それからは自分自身に対して「やらなければならない」という思いが強くなり、常日頃の行動にも変化が出始めました。

見つけたゴミは必ず拾うこと。
練習の声出しは誰よりも大きくすること。
常にまだまだ成長できると自らを信じて自分の発する言葉がチームの原動力になることを心がけました。

その結果、2年生での近畿大会では団体形で入賞し、選抜大会へ出場。
そして3年生では個人形で念願のインターハイに出場することができました。

3年間のクラブ活動を振り返ると、同期と喧嘩した事、気持ちに浮き沈みがあったこと、大事なところで負けたこと、そのどれもが欠けてはいけない経験だったと思っています。

私の最後の試合は、国体の近畿予選でした。
結果は第一ラウンド敗退、悔しさしか残らない結果でしたが、「やれることはやり切った」と思えてきました。
そして今まで喧嘩が絶えず、勝てないことで揉めてしまうことが多かった同期や一緒に練習していた後輩、先輩方から「頑張れ」と応援のメッセージをもらった時には、自分の熱意が伝わっていたんだという気がして試合で勝つとのとは別の嬉しさを感じました。

引退し、空手からしばらく離れた生活を送る今、自分には好奇心が足りなかったのではないか、そして本当にやれることは全部やったのかと客観的に振り返ることがあります。

選抜大会で勝ちきれなかったこと、3年生でやっとの思いで出場したインターハイでもう少しのところで次のラウンドに進めなかったこと。
練習に励んでいた当時はただただ目の前のことを必死になって取り組み、どんなときも「勝つ」という思いだけを胸に練習に励んでいましたが、今思い返せば勝ち上がっている選手は、純粋な気持ちで空手が好きであり、そしてその純粋な空手への思いから自然に溢れ出る好奇心で練習に取り組んでいたのだと思います。
練習や自主トレ、勉強以外にもっと時間を作れたんじゃないか、もっと空手に捧げる時間があったんじゃないかと後悔こともあります。

私はそれに気づいた時にはもう引退していました。
高校空手のステージに立つことはありません。
だからこそ今、勝ちたいという気持ちで共に練習を重ねる仲間がいる後輩たちがとても羨ましく思います。
やってきたことに後悔はありません。
先輩方や先生、自分についてきてくれた後輩たち、そばで支えてくれた同期たちの支えがあり多くの舞台に立つことができました。

ですが「高校空手で日本一になる」という目標を果たせなかったことは恐らく一生の悔いになるでしょう。
果たせなかったその目標は、私の背中を見ていてくれていたであろう後輩たちに託します。
これからは私が支えていく立場となり、京都両洋高校空手道部を見守っていきながら、空手から得た多くの思い出と経験を胸に刻み、悔いの残らないような人生を歩んでいこうと思います。


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