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「濡れ新聞紙で窓拭き」は正しいのか?

築90年以上の古民家を借りています。今日はそこの掃除をしました。

今のようなアルミサッシではないので、掃き出し窓からホコリを掃き出せるという、文字通りの掃き出し窓。

アルミサッシの窓枠でこれをしようとすると、ゴミがレールに引っ掛かります。

ゴミを外に掃き出して大丈夫?と思いますが、この家が建った頃のゴミは、綿繊維や絹繊維、木くずや紙くず、化学添加物がほとんどない食べ物のカスなど、天然素材ばかり。

掃き出した庭で、自然に返ったり、鳥や虫の餌になったのです。循環する社会だったのです。

アルミサッシは、隙間風も吹き込まないし、室温を快適に保ってくれますし、すき間から雨水が入ってきたりもしません。木枠の窓は、100年近く経つと、歪みが生じて、すき間だらけです。

どっちが良くて、どっちが悪いという視点ではなく、なにを優先するか?という視点にたつと、全部の建物がアルミサッシである必要はないと思います。

とはいえ、木枠の窓は窓掃除もタイヘン。アルミサッシの窓枠のように、窓に水を吹きつけて、その後スクイージーで拭き取るというようなことができません。窓ガラスと窓枠の間にゴムがありません。窓に当たった水は木枠に染みこんでいきます。木の劣化が進んでしまいます。

濡れた布で窓を拭き掃除しようとすると、布の細かい繊維が窓ガラスにくっ付いていきます。木枠の窓が一般的だった時代、窓拭きにつかう布は、古着の切れっ端や手ぬぐいのお古だったはず。今のような丈夫な化学繊維は普及していませんでした。

そこで、推奨されたのが
濡らした新聞紙
を使った窓拭きです。

今は、アルミサッシが主流ですし、新聞紙でなくてもウェットクロスを使えば、紙の繊維も窓に付かなくてすみます。

「新聞紙のインクの成分で磨かれる」と書いている記事も見掛けます。インクは、基本、油製品です。油で磨くのだから、一瞬はキレイにはなります。しかし、油には様々なモノを付着させる接着剤の役割もあります。インクの成分も、昭和時代のような石油由来のインクとは違って、今は植物由来のものが多く、期待されるほどの磨き効果はありません。

なによりも、新聞購読者数が減ってきています。新聞が身近な素材でなくなってきています。濡れクッキングペーパーの方が現実的かもしれません。

「お婆ちゃんの知恵袋」的な家事ノウハウの代表ともいえる「濡れ新聞紙」は、このように、現代の窓拭きにベストな方法か?というと、必ずしもそう言えません。

時代の変化とともに家事は変化します。

周囲が変化しすぎるなかで、家事や家庭環境くらいは変わらぬままで…という思いからか、家事はいつの時代も保守的です。「自分の母がそうであったように…」と思う人が多い反面、核家族化や単身世帯化がすすみ「自分(たち)の家事」を作りやすいので、どんどん新しい家事を取り入れる人も増えています。

今日の家事メディアは、その両方に目を向ける必要が生じています。僕は、
家事ゼロもアリ!
だと思っています。全部、カネで解決するのもアリです。家政婦さんにお願いしたり、全部外食ですませたり、ホテル住まいという選択肢もアリです。

「妻に家事させる」のが甲斐性だと思っている人がいますが、もっと甲斐性があれば、「妻に家事させない」も選べます。

逆に、生活が逼迫した「貧乏ヒマ無し」状態だと、料理する時間すら惜しくなります。掃除や片付けなどせずとも死にません。洗濯はしないと社会的な信用を損なうから最小限。このように、家事などやってる場合じゃないもあります。

もう一度、昔の家事に話しを戻します。

濡れ新聞紙で窓を拭いた時代は、ノンビリした時代だったのです。「一億総中流」という歴史的な言葉が存在した時代です。今、濡れ新聞紙で窓を拭くとしたら、それは僕のような木枠窓の家を掃除する人か(それでも窓拭きクロスを使いますが)、歴史体験学習か、あるいは懐古趣味かでしょう。

いつの時代でも通用するコトか?
世界のどこでも通用するコトか?
普遍性とは、この二つを満たせるかどうか?です。

濡れ新聞紙で窓を拭くという行為に、普遍性はあるのか?です。
家事も変化しないと!

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