好きを仕事にしたつもりだったけど…でも結果オーライ

キャリア形成の話。

「家事が好きだから、家事の仕事をしているのですか?」
と聞かれたら、

「すみません…」

と答えるしかないのが、今の僕です。

「好きを仕事にする」は一つの目標であったり、
憧れであったりするのかもしれません。

僕も、大学を卒業するまでは
「好きなことを仕事にできればイイなぁ~」
と思っていましたが、今は

好きだけじゃ
どうにもならないのが仕事ってモンだ!
中途半端な「好きかな?」程度なら
いっそ好きとか嫌いとか、関係ない仕事の方が良い!

と、思ってます。

振り返れば…
中学3年生の時に、FMラジオから流れてきた米英ロックサウンドに魅せられて、それまでクラシック畑にいた人間が、急にエレキギターを弾きたい!という衝動に駆られてしまいました。

あの時から、大学を卒業するまで、「いつかロックスターになる!」という妄想に取り憑かれておりました。子どもらしいといえば可愛いですが、ようは世間知らずでした。そんなアホには、世の裁定が下るわけで、大学卒業時に単位不足ゆえの留年を喰らうことになりました。時はまだバブルの余韻残る時代。バンド活動ばっかりしていても、内定をくれる会社はありました。

人事担当部長さんに「すみません。卒業できませんでした」と報告すると、「セメスターで半年後に卒業できませんか?それだったら、秋からの配属にしますよ」とおっしゃってもらえたのですが、残念ながら、僕が通っていた大学はまだ通年単位制しかありませんでした。

大学4年間。オーディションとリハーサルとデモテープづくりの毎日でしたが、結果、まったく目が出ず。4年間やれるだけやったので、ロックスターになる夢はスッパリ諦めて、ちゃんとした社会人になるべく、まずは卒業目指して授業に出る。二年目の就職活動も早々に手を付けることに。

一度は、就職するはずだった会社からも、再び内定をもらい、ホット一息。その会社から内定をもらった他に、住宅系や化学系、光学系に家電系、総研系、金融系…節操なく面接を受け、ほぼどこも最終面接までこぎ着けたのは、時代がそういう時代だったから。

内定をもらった会社の中で、一番、規模が小さかった楽器製造企業に就職を決めた理由は、長年関わった楽器に関わる仕事がしたかったから。なにより音楽が好きだったから。そして、前年、留年したことで就職できなかった会社でもあったから。

そして、無事に卒業し、晴れて社会人!…だったのに、2年越しで就職した会社を、たった1年で辞めるのでした。

確かに、僕は音楽が好きだし、楽器も好きでした。ズッと触ってても飽きないし、自分で曲を作るのも、演奏するのも、聞いてもらえるのも楽しかった。その分、それ以外のかなりを犠牲にしたけど、全然苦労だとも思わなかった。だから、音楽、とくに楽器を仕事にするのは、正しい選択だと思っていました。

でも、社会人になって、仕事として接する音楽は、それまでやってきた、自分が演奏したい音楽だけではなかったのです。一緒に仕事をする人は、自分がオーディションで集めたり、「一緒にやろうよ」と声掛けてもらったメンバー達とは、まったく別の種類の集団でした。

好きになれないジャンルの音楽の楽器でも、楽器を売るためなら(営業職配属だったので)聞いたり、説明したり、ときには演奏したり…当時はラップが苦手だったのに、当時の新製品「DJ-70」を新製品展示会で説明するのが、一番シンドい仕事でした。(リンク先の説明には「迷機」と紹介されてますが、同感です)

配属先の営業所は、一人を除いては皆さん「いい人」達でしたが、なぜか僕のOJT担当者だけは、どうひっくり返っても好きになれない人でした。自分勝手な厳しさを振りまいた人という記憶が残っています。今でいうとモラハラな人と言うのでしょうけど。

こんな理由もあって、入社式の365日後に会社をやめました。僕は、音楽や楽器が好きだから楽器メーカーに就職したけど、これは正しい選択じゃなかったという現実を突き付けられました。

「音楽や楽器が好き」というのは、仕事にするのなら、そしてそれでお金を稼ごうとするのなら、「世界中にある音楽や楽器が全部好き」になれて、はじめて口にしていい言葉なのかもしれないです。そのくらいの覚悟があって、はじめて公言して良い言葉だと思いました。

そして、音楽や楽器の周辺にいる人の中に少々ヘンな輩がいても、それすら包み込めるくらいの、音楽への愛や楽器愛がなければ、続けられないな…と思いました。

 

あれから四半世紀以上がすぎた今、中学高校大学時代の僕に伝えることがあるとしたら、

君は
音楽や楽器を通して、
なにがしたいんだ?
なにを伝えたいんだ?

と声を掛けてあげたいです。

僕は、当時、ロックスターになって、なにがしたかったのか?僕は、バンドのメンバーと、ワンボックスカーで全国のライブハウスをツアーすることを夢見ていました。雑誌やMTV、PVなどで見る、プロのバンドのツアーの様子の写真やビデオが好きでしたし、憧れてました。それはきっとロックやポップスを聞き始めた頃に見た、Journey の ”Faithfully "のPVの影響もあったと思います。

いろんな町に出かけて、人前で演奏して、打ち上げ会場で地元のスタッフさん達と打ち上げして。次の日は移動して、またライブして…。憧れたのは、そこでした。伝えたいのは…実はなんでもよかったのかもしれない。

今、講演の仕事に呼ばれ、全国あちこちの町に出かけて、人前で講演して、居残りの場合はスタッフさん達と打ち上げして…。講演が連日続く場合は、家に帰らず移動ツアーになる時もあります。やってることは、僕がロックスターになってやりたかったことそのもの。

会社員になったり、大学院生になったりして、遠回りはしたけど、やりたかったことが今やれてるのです。本当にラッキーです。運が良いです。

おまけに、本を出したり、テレビやラジオに出演したり、雑誌や新聞に記事を書いたりという機会も与えてもらってます。ロックスターになってCDを出しても、テレビやラジオに出る機会がどれだけあったかと思うと、なりたかった自分以上の自分になれていると思います。

今になって、ふと、楽器メーカーで働いた1年のことを考えると、アレはアレで経験できて本当にヨカッタと思います。いろいろあったけど、新卒の新人社員というのは、「やらせて下さい」と頼み込んでも、後からではできないことだし、その時でしか教えてもらえない事がたくさんあります。その時だから、聞けることもあります。僕はたまたま上司との折り合いが上手くいかなかったけど、それも会社員なら一度や二度はあることです。それも経験できました。たった1年しかやってない分、余計に強烈に記憶に残っているのも、今となってはありがたいです。

もしもあの時、光学精密機械系に就職していたら…や、大学院からそのまま大学の研究者になっていたら…と考えないことはありません。でも、今ほど「これがしたかったことだった!」とは思えてなかったと思います。

以前の、「音楽や楽器が好きだから」で仕事を選んだ経験上、今の仕事について「家事が好きだから、家事の仕事をしている」と言い切る勇気はありません。家事はもちろん嫌いではないし、探求するとオモシロイし興味は尽きません。でも、この仕事も好きや嫌いで、仕事ができるほど甘い世界ではないです。やりたいこともあるし、やりたくないこと(取り立てて思い当たらないですけど…)もある。好きな時もあるし、カンベンしてよと思う時(真夜中に延びるロケなど、これはたまに…)もある。でも、それも引っくるめての家事だと思ってますし、家事の仕事だと思っています。

僕が「家事は楽しく暮らすための手段」と割り切れるのも、たった1年だけど、会社員としての価値ある1年を過ごすことができたからだと思います。そして、好きと楽しく暮らすは、必ずしも同期しないことを知った1年でもありました。

僕の最初のキャリアは、思ったようには展開しなかったけど、その後の人生にとって、意味と価値のあるキャリアだったのは確かだと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?