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政治とリラックスの相性について

 近所に良い感じっぽい小料理屋があり、前から気になっていた。通りに面した店で、ガラス張りなので中の様子が一部見える。カウンターだけのこじんまりとした店内。白衣を着た板前店主と、割烹着を着たその奥さんらしき方が切り盛りしている。調べたところ、私の好きな蕎麦屋の系列のようで、料理も本格的だけど、比較的リーズナブル。一度お邪魔したいな、と思っていた。

 今日も帰り道その店の前を通ったので、ふと中の様子に目をやると、ガラス張りの一角に

「日本をなめるな」

 とデカデカと書かれた、とある政党の選挙ポスターが複数枚貼ってあった。

 率直に「ギョッ」とした。うーん。たぶんこの店には行かないだろうなぁ、と思った。

 貼られていたポスターの政党が、殊更嫌いだからというわけではない(全く好きでもないが)。右寄りと思われるその政党の、対極である左寄りの党の「増税やめろ!今すぐ減税!」とか書かれているポスターが貼ってあっても、同じことを思ったと思う。

 選挙に関心を持ち、様々な世代が投票に行くことは大切だと思うし、そこに向けた態度として政治のことをオープンに語っていくことも大事だとは思う。無関心の怖さは体感してきた世代でもある。

 ただし。飯やお酒を楽しみにきたお店で、店主の政治的な態度を一方的に表明されるようなのはキツい。難しい。

「保守バー」「リベラル居酒屋」「反ワク喫茶」など(あったとして)、それを前提としているお店なら問題ない。

 ただ大抵の場合は、美味しいごはんを食べて、楽しい会話やリラックスした時間なんかを楽しみたくて、訪れてる人が多い場所だと思う。そこで「日本をなめるな」とこられると、もう、キツイ。うるさいよ、と思ってしまう。

 昔、結構な時間をかけて通っていた「神の手を持つ整体」があったのだが、そこも高齢の先生が、ある時期から謎に右傾化して、アジアの近隣諸国の猛烈な批判を振るうようになった。

 整体である。体を整えにきているのに、なぜ政治的な話を聞かねばならぬのか。本棚にいわゆる嫌韓本や嫌中本が増えていくのもなんだかなぁで、施術は間違いなかったけど、全くいかなくなった。

 政治について自分の態度を表明することは、どんな職業であれもちろん自由だし、その権利も否定されるわけはない。ただ、思うに、政治と「リラックスを提供する場所」の愛称は、相当に難しいものがある。「今言わんといて」が、どうしても勝ってしまう。


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