前向きな熱の増大
今の自分に足りないものがあるとして。
それを補うものを足すことを考えたとして。
それが、とってつけたようなニセモノのパーツなら
それは今を取り繕(つくろ)うだけの行為。
今を取り繕ったとして。
明日のあなたにどんなメリットが訪れるか、
という考察をしてみたい。
まず前提条件として。人間はなりたいものになるためにあらゆるものを想像し、創造できる。それはまさに夢を実現する力だ。それは、痩せたいとか、お金持ちになりたいとか、世界中の人から愛されたいなどという夢もあるだろう。だがなぜその夢を叶えられる人が少ないのか?と考えてみる。それは、その「夢を思い続けることが難しいから」だと仮定する。
夢を実現するには、絶えず自分の心にその夢を思い続けないといけない。その自信を持ち続けなくてはならない。その夢を信じ続けなければならないし、その夢を叶えるための方法を試して、それが間違っていることを知った時は、また違う方法を試さなくてはならない。それはまさに絶対に曲がらない意志である。それを持つことが出来れば、その意志をずっと絶やさずにいられれば。そんな前提条件が、あなたの目の前に高く高くそびえ立っているわけだが。
「わたしはみんなが羨むような美人になりたい」
そう思ったと仮定する。そのために必要な努力は、肌を清潔に保ち、身だしなみに気をつけ、魅力的と思われる服を選び続け、心と体のメンテナンスを続けなければならない。時には、「魅力的な」体つきが必要になる。男性なら筋肉を求められ、女性なら、ふくよかな肉付きを胸やおしり、太ももなどの部位に求められていく。その適度な脂肪と筋肉のバランスを考えた生活を何年も続けなければならない。
その努力をできる人は、夢を叶えるために自分を信じ続けられる人だ。その結果手に入る勲章である。それも年齢制限という絶対指標の中での勝負である。全ての人が叶えられない理由が、その難しさがそこに漫然と高くそびえ立っている。
もしもあなたが理想とする体つきに遠く及ばない体だったとしよう。身長はやや低く、体つきも筋肉や脂肪量に大きな不足がある場合だ。その場合、選択肢は2つ。ひとつは身長をのばし、体の筋肉と脂肪のベストバランスを求めて鍛錬する道。この場合はさらなる苦難の道が待っている。もうひとつは?それは、ほかから持ってきて足らない箇所を足して補う方法だ。具体的には、画像加工を施し、さらに胸にはシリコンバストを用いる。昨今、コスプレイヤー業界において、魅力的なキャラのそのほとんどが、豊満なバストをしていることがデフォルトになっている。それは妹キャラや、低年齢と思われるキャラクターでも同様だ。それらは男性の欲望を現実化させるという目的からはとうに逸脱して、女性から見ても理想的な物になろうとしている。1部のファンに貧乳を肯定する層があることは理解するが、それでも男性女性問わず大多数の考える「理想的な体」とは、豊満なバストを必須条件とする。そのため、そのキャラクタを表現する際にどうしても胸のサイズが実際のコスプレイヤーの中身と相違がある場合、シリコンバストを用いるようになった。それは一見するとそれとは分からない構造になっている。首から胸にかけて作られたそのシリコンバストは、胸元を強調するコスプレイヤーにとってはほとんど違和感なく使用することが出来る。使用方法としては、まるで赤ちゃんのよだれかけのように上から被り、境い目は、服や髪などで隠しながら使用する。そのようにして世のコスプレイヤーは、表現出来るキャラクタの幅を大きく広げることに成功した。
表現したいキャラクタに合わせて胸のサイズを調整することはこれまでも行われてきた。それは詰め物であったり、逆に減らす場合はサラシを巻いてそれを補った。だがそれらは飽くなきリアリズムに対する挑戦だった。アニメキャラに近づきたい。アニメキャラになりきりたい。そんな願いがそれらの工夫を呼んだし、それらをすることは涙ぐましいコスプレイヤーたちの努力の結果である。
では、シリコンバストはどうか。あれもまた、キャラクタになりきりたい気持ちの現れである。だがそれをどう活用するか?については簡単である。それを購入すればよいだけだ。そこになぜだがモヤモヤする自分がどこかにいてどうも引っかかる。
若い世代に同様の努力を強いるのは我ら年配者の悪い癖だ。だからそれをもやもやしたときに、「ぼくもまた歳をとって高齢者の仲間入りをしたのだなあ」と思ってしまった。キャラクタの完成度を高めさえすればいいので、それのためにシリコンバストが最適なのであれば採用してよい。という考えは確かに合理的だ。確かにパッと見シリコンかどうかなど、素人にはわからない。それで世の男性の視線をクギズケにし、興奮させるのであればそれは正義である(女性からは羨望の眼差しが注がれる)。だが、完成度を高めたとして、では、コスプレイヤーとしてのキャラ愛は代わりにどこで表現するのだろうか。キャラになりきった私を見て、という気持ちはわかる。コスプレイヤーの皆さんは多くの人に承認されることで満足を得るタイプの人種が多いことも知っている。だからそれは肯定される。だが、キャラ愛、はどうか?キャラが好きすぎて、自分がキャラになってしまった!素晴らしい愛の結果として!のコスプレにおける精神性は、シリコンバストを用いないと表現出来ないのだろうか。バストの豊満なキャラは豊満な体を用いなければ愛を表現できないのだろうか。
わたしはコスプレイヤーさんを尊敬している。それは誰がなんといおうと、私はこのキャラが好きだを高らかに、世界の中心で叫んでいるからだ。それはそれをすることで人気を得たいという気持ちや、中の人を愛して欲しいという気持ちに勝るだろう(もちろんゼロではないだろうが)。そこにこそ、ピュアな好きのオーラを感じるのだし、尊い理由がそこにある。
だが、一方で、豊満なバストがないことを理由に「そんなの○○ではない!」というファンがいるのも事実である。その声を封じるため、そのファンを黙らせるために自衛のためにシリコンバストを利用するという考え方も分からないでもない。だが一方で、それは批判を恐れるがあまり、さらに別の批判を無限に呼び込むような不毛な世界であり、その先には何も無いようにも思う。つまり、その場を取り繕って得る未来そのものだからだ。
未来は努力によって勝ち取らなくてはならない。未来は今よりひとつでも変化を持っていなくてはならない。それは目に見えないエントロピーの増大による変化だけではなく、本人の努力、本人の産みの苦しみの先にあるものだ。それは、確かな苦痛を伴うが、同時に成長をもたらす。それは微々たるものかもしれない。無駄に終わるかもしれない。けれど、それは再現性がある。積み重ねればそれはまるで複利を産んだ資本経済のように、最後は爆発的で、指数関数的な成長カーブの入口だ。つまり、昨日よりも理想に近づいた自分自身との邂逅である。
わたしは人間のすべての行為はエントロピーによる破壊を避けるための、前向きな熱の増大と思っている。それは何かで補えるようなものであってはならない。お金を払えば叶うという再現性ではダメだ。それはエントロピーの増大に対して、スペアボディを買えばいいという発想と同意になるからである。エントロピーの話についてはまた次の機会に。
むじかでした。