お仕事遍歴~もう働きたくない~
一番最初に働いた日は「こんな楽な仕事で月給もらえるの?すごいいいじゃん!」と思った。でもすぐに「こんなに拘束されるの?早く家に帰りたい」と思うようになった。
私はバイトというものをしたことがなかった(と、書いたのですが専門学生時代にスーパーの試食係、ホテルの宴会場の配膳など、単発のバイトはやってました。訂正します。取り消し線がつけられなかった💦)
高校生の時はしてみたかったけど、そもそもバイト禁止の高校だった。内緒でバイトしてる子もいたけど、私はバレるのが怖くて出来なかった。母親からは「働かなくて済むうちは無理して働くことないんじゃない?」と言われ、それもそうかと思った。
なので初めてのお仕事は都内の専門学校を卒業し、地元に帰ってコネで入った建設関係の会社でだった。
今にして思えばめちゃくちゃブラックな会社だった。
最初の頃は仕事なんて無いから定時なので帰りますと言って帰ろうとすると「なにも定時だからって帰らなくたっていいんだよ」と言われた。定時で帰らなかったら何で帰ればいいのかと思ったが、その日以来何もすることがなくても定時では帰れなくなった。
営業事務だったので本来は営業と同じ時間に出社すれば良いはずだったけど、工事部の人たちと同じ早い時間に出社するよう言われたりした。
交通費は出ないのにあそこにこれを届けて、ここにおつかいに行ってとやたら車を使う用事を言い付けられた。
営業事務とはいっても事務だけしてればいいわけではなく、やってることはほぼ営業と同じだったのに、営業の人よりお給料は全っ然安かった。多分1/5とか1/10とかそれくらい。安くコキ使われていた。
月に二回くらいは飲み会があって、二次会までは絶対参加が暗黙の了解だった。二次会では酔った社長とチークダンスを踊らなければならなかった。
2年持たなかったけど、よく2年近く続いたなと思う。もっと早く辞めればよかった。コネだったから紹介してくれた父のお友達に悪いと思ってしまっていた。
業務以外で拘束されるのはもうごめんだ、働いた分だけお金は欲しい、そんな思いから派遣に登録して、色々な企業さんで派遣の事務として働くことにした。
もう面倒な飲み会に誘われることもないと安心していたのに、結局飲み会はあり、接待要員の女の子として参加するようやんわり強要された。3年くらいは断る勇気がなくて、時給の出ない飲み会にも嫌々笑顔で参加してた。4年目過ぎからは「すみませんが行けません」で押し通すようになった。
結局どんな会社も同じなんだな~と思うようになった頃、愛犬を亡くし、ペットロスになって働けなくなった。
どうすればあの子を救えただろう。「今の医学ではもうできることはありません」と言われたあの子。そんなことばかり考えていくうち、私は自然療法というものにハマっていった。
自然療法の一つであるアロマテラピーやアーユルヴェーダに特にハマり、インストラクターやセラピストの資格をバンバン取りまくった。
その資格を活かして、もう自分で開業してしまおうと考えてた矢先、昔の知人からとあるサロンを紹介され「話だけでも聞いてみたら?」と言われて話だけ聞きに行くつもりで行ったけど、それは面接だった。
面接官の社員さん、マネージャーだという人から「あなたみたいな人は大歓迎だよ!」などと言われてすっかりその気になってしまい、そこで働くことになった。資格だけあっても経営のやり方なんて分からなかったし、不安もあったので、勉強のつもりで働こうと思った。
店長は10歳近く年下の元ヤンな雰囲気の人。年上の新人なんて扱いずらいだろうと気を遣って過ごしていたけど、めちゃくちゃ嫌われてた。
施術をしていると隣のブースから店長の声が聞こえてくる。「一番ん~年上のぉ~スタッフの人なんですけどぉ~」…私の悪口をお客さんに愚痴っていたのだ。
店長のすごいところは、そういう愚痴を絶対女性のお客さんには言わないところ。自分指名の男性のお客さんにだけ愚痴る。完全にオンナを武器にした営業手法。指名のお客さんの何人かとはデートをしてると言ってたけど、私は枕営業もしてるんではないかとなんとなく思っていた。(そこまではしてなかったかもしれないけど)
私だけが嫌われていたわけではなくて、日替わりで毎日違うスタッフをいじめるような人だったから、新人さんが入ってきてもすぐ辞めていくことが多かった。私が入ってすぐにまず先輩が一人、私の後に入ってきた人は陰湿にいじめられてすぐ辞めて、その後に入った人は何の連絡もなく突然来なくなって、私が辞めることが決まってから入ってきた子は私が辞めてからすぐに辞めたらしい。どんな地獄だよ。
他にも色々あったけど、そんな店長の問題点を面接官でもあったマネージャーに相談すると「店長はよくやってるよ!」と逆ギレされた。あ、これヤッテんな。勘だけどピンときた。男女の関係ではないのか。そういう噂をしているスタッフは他にもいたし、そういうのって周りはなんとなく勘づいちゃうよね。そういえば辞めていった先輩が「マネージャーはアテになりませんよ」と一言残していったっけ。こういうことだったのか~と悟った。
マネージャーも頼りにならないと分かった時に辞める決意をした。
店長の発言で一番許せなかったのは、名前をバカにされたことだった。「子のつく名前って。ダッサ~」と子の付かない名前の店長は言ったのだ。お前それ北川景子にも言えんのかよ。
北川景子はさておき、名前というのは自分で付けるものではない。親や祖父母、親がお世話になった人や神社の神主さん…とにかく、こどもの為に周りの大人たちが一生懸命考えて付けてくれるものだ。名前をバカにするということは、その人の家族や家族の友人や大切な人たちをバカにするということだ。それが許せなかった。その時のことを思い出すと今でもムカムカする。店長とか後輩とか年上とか年下とか関係なく「それは人として間違っている」とガツンと言ってやれば良かったとずっと思っていた。でも今は、そんな大事なことあんな奴に教えなくて良かったと思う。私よりずっとヤバい奴に同じことやってボコボコにされればいいと思う。恥をかくのはアイツだ。
そんなわけでそのサロンも辞めて、いよいよ自分で開業しようかな~やっぱり自宅サロンがいいよね~猫がいるからアロマは使えないよね~やっぱりアーユルヴェーダかな~などと考え準備を進めていた中で、気になることがひとつあった。
サロンで働いていた頃からお腹が痛くなりやすくて、家を出る時間が近づくとトイレから出られなくなることが何度もあった。精神的なものかと思っていたけど、仕事を辞めてからも腹痛は続いた。ある日突然今まで経験したことのない激しい腹痛に襲われて病院に行くと、卵巣と子宮に病気が見つかった。この病気が腸にも影響して、お腹を下しやすくなったり痛くなったりしているということだった。
幸い、婦人科系の病気のほうは投薬治療でなんとかなっている。でも、お腹の下しやすさはあまり変わらない。自宅サロンなら、ふいのトイレもなんとかなるかも、体調も調整しやすいのではないか、そんな思いもあった。
そんな時に交通事故に遭った。信号で停車中の100対0の追突事故。幸い、加害者の方はすごく常識的ないい人で、すぐに車を降りて私の心配をし、救急車と警察を呼んでくれて、交通誘導までしてくれていた。ただ、私の首へのダメージは重かった。ムチ打ちがひどく、通院したけどリハビリが合わず、そんなには通えずにいた。
3ヶ月経った頃、加害者の保険会社の担当者から「そろそろ通院終わりですよ」と一方的に言われたその言い方がムカついて、弁護士特約を使って弁護士さんに相談し、整骨院に通うことになった。加害者の方はいい人だったけど、保険会社の担当の言い方が悪いとこうなる。加害者さんかわいそう…。保険会社は慎重に選んだほうがいい。
弁護士さんはとても優秀で、7ヵ月通院させてくれた上に、当初保険会社が提示した金額の4倍の示談金を勝ち取ってくれた。ありがとう弁護士さん。ありがとう加害者の方。
交通事故に遭ったお陰で 今 生活できている。
だけど示談金もいつか底を尽きる日が来る。
コロナになって、自宅サロン開業は諦めた。コロナのお陰で、自宅サロンはリスクが大きすぎることが分かったのだ。サロン用の部屋を借りる余裕は無い。
もちろんこのコロナ禍でも自宅サロンを頑張っておられる方はたくさんいらっしゃるだろう。そういう方々には敬意を表したい。多分消毒とかすごい気を使って色々考えていらっしゃるのだと思う。すごい。
私は何をしよう。この数ヶ月そればかり考えていた。
何をしてお金を稼ぐ?
長いことセラピストとして働く自分しか想像してこなかったから、それ以外で何をすればいいのか分からない。昔はどんな夢を抱いていたっけ。
高校生の頃は茶道を習っていたので、着物を着る生活がしたいな~と漠然と思っていた。中学生の頃はカウンセラーになりたかったな。小学生の時は動物園の受付に憧れていたっけ。
短大を卒業してからはデザインの専門学校に行ったけど、もうCADでの製図も出来なくなってるよな。でも何か家でできる仕事がいい。家でできる仕事…?
いえで できる しごと
しごと
20代の頃は求人誌を眺めながら「これはできる、これもできる」と自分は何をしても働いていけると思っていた。なのに今、求人誌を眺めると「これはできない、これも無理」になってしまった。
今、我が家には保護した猫が7匹いて、相性の合わない同士もいるから住み分けをしていて、部屋を入れ替えたりなんやかんや実は結構忙しい。トイレは計14個置いてあるから掃除も忙しい。部屋の温度管理も大切だし、自分のトイレの問題もあるから、フルタイムの仕事などはもう到底できない。
英語は好きだし得意なほうだけど、翻訳を仕事にできるほどではないと思う。
じゃあ何をして生活していけばいいのだろう。
自分が働きたくないもんだから世の中の人たちはみんな嫌々働いていると思っていたけど、テレビなどを見ていると「仕事が生き甲斐です」なんて言う人たちもいるらしい。仕事が楽しいなんて考えられない。
そりゃ働いている時は日々の楽しみもそれなりにはあったけど、それがあるから辞めずに頑張れる、というほどの楽しみは私には見つけられなかった。
そもそも人には向き不向きがある。自分はそもそも働くことに向いていないのではないか。
多分それなりの病院に行って検査を受ければ、今流行りのADHDとかADDとかそれなりの病名が付くのだろうとは思う。でもグレーゾーンかもしれない。
事務とセラピストと犬と猫の世話とドラマと映画を観ることしかしてこなかったこんな私にできることってなんなんだろう。
確信しているのは、とにかくもう働きたくないということ。
通勤とかパンプスとかストッキングとかもう絶対に無理。8時間働くとかも無理。
求人誌今でもよく見るけどなんでパートやバイトに8時間働かせようとするのだろう。2、3時間ごとに区切れば多分もっと働ける人がいるはずなのに、といつも思う。
大体週に5日、1日8時間働くって誰が決めたのか。そんなに働ける人は健康で体力があって自分の面倒以外見なくていい強者に限られてくるではないか。
私は今のこのシステムが間違ってる気がしてならない。世の中には色んな体質の人がいて、みんな様々な事情を抱えながら生きている。体質が違うのにみんな同じリズムで働くことなんてできるわけがない。今のシステムは、強者のみが生き残れる、強者がやり易いよう作られたシステムだと思う。
でも、とりあえずまだ貯金はあるし、猫たちは元気でかわいいし、好きなドラマや映画を自分のペースで観られるし、今、私は毎日すごく幸せを感じている。
とりあえず宝くじは買った。
兄からはYouTuberになることを勧められているけれど、私が作るチャンネルなんておそらく再生回数6回とかになることが分かっているからなかなかやる気になれない。
これから株を始めてみるつもりでいる。ど素人だしどこまでいけるものか分からないけど、希望は持っている。
希望を捨てなきゃどうとでもなる。
私は運がいい。
そう唱えながら生きていこうと思う。
長い文章をここまでお読みいただいた皆様、ありがとうございました。
(※追記)一年経って心境の変化が。こちら↓もどうぞ。