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お盆になると思い出す

アトラスラジオで読んでいただいたお話

の文章ver.が下書きに入っていた。

4月の終わり頃に書いてそのままにしてたみたい。

せっかく書いたからup。

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それは、その年の一月に亡くなった祖父の新盆の出来事。

祖父は一月の四日に亡くなった。

長いこと入院していて、意識も朦朧とした期間がずっと続いていた。

帰省していた兄たちが5日に帰ることをまるで知っていたかのように、4日に合わせるように亡くなった。

父は祖父が40歳を越えてからできた子供だったため、私たち孫が出来たのも、祖父が70歳を越えてからだった。

そのせいか孫煩悩な祖父だった。

私などは随分かわいがったもらった。

無口で穏やかで優しい祖父だった。

 

普段は東京の大学に行っている兄たちもお盆には帰ってきて、みんなで仏壇の飾り付けをし、お盆の準備をして、お墓参りに行った。

夕方には迎え火を焚いた。

全国共通のならわしなのかは分からないが、お盆には先祖が帰ってくる目印にと、玄関先で小さな火を灯すのだ。

迎え火も皆で済ませて、家族みんなで夕食の準備をしていたその時。

祖父の部屋からキッチンに繋がる内線がピンポーンと鳴った。

入退院を繰り返していた頃に、祖父が家族を呼びたい時に呼べるよう設置したものだった。

家族は全員キッチンに集合している。

一瞬背筋がぞーっとした。

兄たちは「おじいちゃん?!」と子供のようにきゃあきゃあ騒いでいる。

なぜか末っ子の私が祖父の部屋まで確認に行った。

祖父の部屋の内線はコンセントが抜かれていて、私が呼び出しをしてもキッチンの内線は鳴らなかった。

キッチンに戻り、コンセントが抜かれていたことを伝えると、兄たちははしゃいで

「やっぱりおじいちゃんだ!帰ったきたんだ!」

とまたきゃあきゃあ騒ぎだした。

それに呼応するかのようにまたピンポーン。

次兄が疑い、「本当に?本当にコンセント抜いてあったの?」と聞いてきたので頷くと、次兄自ら確認に行った。

真っ青な顔をしてキッチンに戻ってきた次兄は「本当だった…」とつぶやいた。

みんなで食事をし、片付けをしている間もたまに鳴った。

内線のチャイムが鳴る度に私は背筋が凍りついたが、(これはおじいちゃん…あの優しかったおじいちゃんなんだから大丈夫…)と内心自分に言い聞かせていた。

兄たちも口には出さなかったけど、同じだったんじゃないかと思う。

怖いけど、おじいちゃんを怖がってはいけないよね、みたいな。

片付けの頃になるとピンポーンと鳴る度に長兄が「はあーい」と返事をするようになった。


それからも、時々思い出したようにピンポーンと鳴ったが、一年後のお盆にはもう鳴らなくなっていた。

鳴らなくなったのを確認したかのように、父はキッチンと祖父の部屋の内線を取り外した。


ここからは後で知った話。私にはただただ優しい祖父だったが、次兄にはやたらといたずらを仕掛けていたらしい。

コンセントが外れていたのを確認してきた次兄のあの顔を思い出して、あんなに反応してくれるなら祖父もいたずらのしがいがあったろうな、と思い、一人笑った。


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