小説 : 戦う理由
離すまいと持っていたBのシャープペンシルをノートの上で滑らす。
ぐるぐると今の頭の中の状態をそのまま模写するように線が幾重にも重なって、真っ黒な池が出来た。
受験生必見と赤文字で書かれた数学の参考書は、まるでシャーペンが生み出した強風に煽られるようにず、ず、ずっと机の端に追いやられていき、最後にはバサッと床に落下した。
そこでふと、考えてしまった。
落ちた。ああ、なんてことだ。もうダメだ。もう嫌だ・・・。
深夜0時。まだ朝日は遠い。
私のノートを照らしてくれるのは、もう何十年も前から愛用している1200円ポッキリで買ったテーブルライトである。いつもは若干ホコリかぶっていても気にしないのだが、今日は手元に丁度ウェットテッシュがあったので綺麗さっぱりに磨いてあげた。
一日一善がモットーの私なので、今日のノルマを達成すべく、付いていた汚れも丹念に拭いた。
他人への善ではないけれど、自己満足でも今後のモチベーションに関わってくるのでご了承下さい。
一定のプロセスを記憶するコンピューターのように、数式一つ一つを豪快にノートへ書き込んでいく。この方法は、私が今月の頭に編み出した記憶術である。大胆且、とびっきりでかく。
ノート一枚をとんでもないスピードで消費するのがたまに傷だが、効果は上々である。
科学的な根拠はない。だがしかし、私はこのやり方を信じている。
神も仏もいないこの世界で、信じられるものは結局、自分の真意ある行動なのだと、母が言っていた。
よく冷蔵庫にある私のプリンを勝手に食って謝りもしない母だが(というか昨日もそれが発端となり、喧嘩になった)、思い返してみればわりと良いことも言っていた気がする。
その格言の数々を理解できるくらいには大人に近づいたのかもしれない。
ただ、私はまだ子供で、お金も稼げない。
なんだか悪いことをしたような気になったので、プリンくらい多目にみてやろうと思った。
そんなようなことを考えていたら無性に小腹が空いてきた。昨日もプリンは母の胃袋の中に入ってしまったのでお目当てのものはないのだが、深夜の空腹というのは日中の数倍にも渡る飢餓感を与えてくるもので、私はもう食べ物ならば何でもいいと思った。
気分は肉食獣である(実際は雑食獣なのだが)。
部屋から出て、キッチンの方へと向かった。
途中、通りかかった母の部屋からは寝息が聞こえてくる。昨日はものすごくお疲れだったようで、帰ってくるや否や、鼻毛が尋常じゃないくらい伸びているという腐れ部長の愚痴を延々と聞かされた。
なんと苦労人であろうか。母よ。安らかに眠っておくれ。
キッチンのテーブルに、ラップのかかったおにぎりが2つ置いてあった。
それらに寄り添うように、メモ用紙の切れ端があった。
「プリンごめんね。もう一頑張り!」
母は偉大だなと改めて思う。
女手一つで私を育ててくれたにも関わらず、プリン一つで激昂した私を許し、謝罪し、疲れていたのに私のご飯をきちんと作って、ついでに夜食も用意してくれて、励ましてくれる。
どんなに威勢のいいことを言ったとて、私は子供だ。
母の子供だから、ここまで生きてこれたのだ。
皿を部屋まで持っていって、むしゃむしゃと食べ進める。
少し塩気が多いのは、私のせいでもあるだろう。
もしも、私が大人になれたときは、母にプリンを買っていこうと思った。
冷蔵庫に入れたそれを私が食べて、なんていう嫌味な行動も思い付いたけれど、やめておこう。
どうするかは戦いの後で決めればいい。
共に戦ってくれる人がいるのだから、その人に恥じないように。
Bのシャーペンを握りしめて、書く。
深夜1時、朝日はまだ遠い。
夜が明けるまで、私は私のため、そして母のために、今日も戦い続けよう。