りょうけん的 読書感想文の様なモノ 『思えばたくさん呑んで来た』椎名誠 著 241210
<混>
のっけの ことわり書きには「本書は『月刊たる』2012~2024年掲載分を再構成の上,加筆修正したものです。」と正直に書いてある。一番古いのは連載時の通し番号の第2号で2012年5月。一番新しいのは149号で2024年9月。 で,この本に収録されているのは全部でおおよそ100話。つまり「…加筆修正したもの…」などといいながら本当は149話-100話で およそ50話ほどの既掲載話はむなしくも捨てられているのだ。それにしても随分長い間連載してて しかも放ったらかしにされていたものだなぁ。
のっけの第1号も捨てられている。始まりの一話なのにかわいそうになぁ。まあその捨てられたお話達は出来が悪く面白くなかったり,はたまた単行本化する際にどうしても編集者が決めたジャンル(章立て)の中にハマらなかったりしたモノだとも思う。 前半でどの話も全て2ページの範囲内に収まっている,という事に気づいてこれは実にお行儀が良くて装丁仕事がすこぶるやり易かっただろうなぁ,と思っていたら,後半はもうなんだかかんだか何ページでもOK,みたいなぐちゃぐちゃ状態になっていった。シーナ兄ぃらしくて可笑しかった。
この本はその12年程の間にシーナ兄ぃによって書かれたお話を 強引に5つの章にまとめてくくって掲載したモノ。順番は特に古い順でも無くなんとなく並べた って感じ。まあ似たような話が近くにあるのは章立てに沿って並べたからではあるが 中には意図を持ってくっつけて並べたようなお話もある。全体としてはもちろんお酒の話がメインになっているものの 僕はずっと読んで来た他のシーナ兄ぃ的諸々話の尻尾だったり切れ端だったりしている事にも気づき,ふむふむ ああ あのお話しの事だろうなぁ,とかニヤつきながら楽しく読んだ。
僕は長い間(もうかれこれ25年位)シーナ兄ぃ の本を読んで来た(最初は「新宿赤マントシリーズ」からだったもんなぁ) で,今回この本の前半に掲載されている何篇かに「違和感」を覚えた。それは「これって もしかするとシーナ兄ぃが書いたのではない文章かもしれない」という違和感だ。シーナ兄ぃの文体は場面に応じていくつかのパターンがあるけれど 件の疑わしい話 はそのどれにも当てはまらない様な気がしたのだ。
別に一字一句を “その気” でチェックした訳ではないのだけれど なんとなく読んでいて あれ? という違和感を覚えたのだ。怪しいと感じたのは第1章 『釣り魚の味わいどき』と『波濤酒と椰子蟹』の二作。まあ証拠など何も無いので僕の単なる思い込みだろうけど こうしてこういう所に書く事で(誰も読んではくれないにしても)なんとなく溜飲が下がって僕の気持ちは上昇するのであった。勝手放題ですまぬ。
そして なんとなく どことなく それとなく この「似非シーナ兄ぃ的疑似文」は わしらは怪しい雑魚釣り隊 メンバーのバカ盛りの天野くんが書いたのではないか,という疑惑が僕の中でいま確実に大きく育っている。いや何の証拠も根拠も無いのだけれどな。本書に載っている土佐の一升酒早飲み大会で 地元のハチキン(女子ですよ女子)を差し置いて優勝してしまった辺りから鼻に付き始めていたのだ。いや彼を揶揄しているのではないよ。むしろ風貌にはどっちかというと好感を持っている位なのだけれど…。
第三章『ビール礼讃(らいさん)』でシーナ兄ぃ次の様に書いている。“ ビールジョッキの洗浄の仕方が悪くてせっかくのつぎたてビールから生臭い匂いがする時がある。この嫌な現象の第一原因は 食器洗浄用のスポンジを分けていない事。魚や卵や肉の残滓の付いた食器を洗った同じスポンジでビールジョッキを洗うとこうなる。この事にずっと気づかないお店には行かない事にしている。” 御意です同感です。暑い日 ビールジッキを口元に持ってきた時にプンと生臭い匂いが漂うとおもわず「帰る!」と僕は席をたってしまいそうなのだ。
第5章にアメリカの客人(その中にはニューヨークで弁護士やってるシーナ兄ぃの実の娘さんも含むw)が椎名家に滞在した時にシャンパンを飲む話が二つ続いている。『シャンパンの痛い思い出』と『鍋でシャンパン』 の二つ。この話を読むとなんだか続いている二つの話の様に読めるのだけれど後付けの初出一覧を観ると前者は2018年1月,後者は2024年3月に書かれたものであることが分かる。6年の歳月を経てまたも同じような話をしている事になるのだ。笑う。
同じ5章で 昔パタゴニアを旅した時に子羊の肉に出会って,それがとても美味しかったこと,そして日本ではどうしてずっと今でも羊肉を 臭い固いまずい などと言ってあまり食べないのだろう という事にシーナ兄ぃは言及していた。実は僕はラムやマトンの肉 特にジンギスカン鍋という料理が大好き。適正価格で提供してくれる北海道に行った時だけ食べる。なぜだか本州ではこのジンギスカン鍋の値段が異様に高い。ならば自分の家で…と思うのだが町の肉屋にはマトンもラムも売ってないのであった。なんでだろうなぁ。
僕は少し前に出張ついでに新宿三丁目の「池林坊」へ一度だけ飲みに行った事がある。オーナーの太田篤哉さんが偶々お店に居らして 少しだけどお話することが出来た。僕がシーナ兄ぃのファンです,と云うと,なんだそれならシーナが居る時来ればよかったのに,みたいなことを云った。でもいったいいつ来ればシーナ兄ぃは居るんだぁ,という事は結局分からなかったのだ。笑う。お酒も肴も美味しくて安くていいお店でした。機会が有ればまた行きたい居酒屋です。
シーナ兄ぃは数百冊の本を書いてきたらしいが僕は多分その99パーセントを読んでいる,と勝手に自分で思っている。でも時々題名の新しくなった文庫本が出版されるのには毎回まいる。え,どの単行本の改題なんだ,もしかしたら僕まだ読んでないのじゃないのか,と気もそぞろになるのである。僕はかねがねこの文庫本化の際に題名を変更するのは出版社の本を売らんとするが為の卑怯な行為だと 事あるごとに非難してきた。 読者を特にその作家のファンを狙い打ったような卑怯な行為をやめろ!と。
ところが,本書でシーナ兄ぃが文庫本に新しい題名を付けることを色々考えながら結構楽しんでやっていることを知った。単行本で出た時と様々な事情は変わっているので古い題名のままで文庫を出すよりは何か新しい題名にした方が気持ち良いそうなのだ。僕は文庫改題出版の主犯は出版社であり編集者だとばかり思っていたけど 著者も少なくともシーナ兄ぃは積極的に関わっているんだと本書で知った。少し改題文庫本への意識が変わった。