〈信仰くねくね〉「聖書を読もうかな」という時3
「聖書を読もうかな」と人が思うのはどのような時だろう。いや、私自身がそう思ったのはどのような時だったか。
体と心と魂と、この三つがあるなら、聖書は「魂」に働きかける。体と心が、病んだり傷ついたり苦しんだりしても、すぐに「救い」を求める気持ちにはなれぬかもしれない。むしろ心と体のことで精一杯になってしまい、魂の入る隙間がない、という状態かもしれない。「目の前の困難を自力で乗り切らねば」、「弱気にならず頑張らないと」と。―「今ちょっと手が離せない。神さま、ご免!」と、私自身も長い間呟いていた。
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