見出し画像

佐賀教区学習会、質疑応答

2023年9月5日に開催された佐賀教区の学習会より、質疑応答の一部を要約して記します。質問と回答に絞っているため、さまざまなご意見は割愛していますことをご了承ください。


仏智見は私にはわからない世界

Q 領解はどのように受け止めたかの発露で安心の部分。「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえそのまま救うが弥陀のよび声」。凡夫には仏智見はわからない。私の領解としてそれを語っている事に違和感がある。お聖教の根拠は?

A 生死即涅槃ゆえに「そのまま救う」ではなく、「呼び声」となって語られているという文脈になっている。説明には困る。出拠は生死即涅槃。わざわざなぜ仏のありようを示すのかというと、救いの根源と往相の到達点をうかがうことが出来る。領解は約生にかぎらず、約仏として仏徳讃嘆としてありえる。慈悲に展開される根源。呼び声の内容はそのまま救う。(満井所長)

Q やはりお話を聞いてもわからない。平易でない。生死即涅槃というがそれは後の話。領解文であればいただけないと困る。そして苦しい。御同朋の教団を忘れないでほしい。

A ・・・・そのように受け止めさていただく。(満井所長)

Q 「ゆえ」が「呼び声」につながるというが、そのように読めない。

A 無帰命安心ではない、天台本覚思想ではない、その上の立脚点から考えたい。(満井所長)

Q 文章は接続詞、接続助詞などを誤用すると意味が通じなくなる。「このまま」もおかしく感じる。そのようなおかしな文章を、宗門の広報誌などに掲載する事は止めていただきたい。

A 修辞上のご指摘があった事は伝えておく。(満井所長)
A 伝えておく。(中井部長)

なおざりにされた自力との決別

Q わがはからいを捨ててたのむという事を、なぜなおざりにされた文章になったのか。

A ご指摘の点は理解しているつもり。自力心との決別というのはあるべきだと思う。領解文は必ず約仏でなければならないというものではない。約仏の仏徳讃嘆というありようもあるのではないか。(満井所長)

改悔批判ではどちらの領解文を用いる?

Q 改悔批判では領解文が用いられる。どちらを用いられるのか。

A 本願寺側の作法については、担当者の意向は思いがあっても却下されたらそれまで。自力心との決別があった方が、ふさわしいと感じる。(満井所長)

内容に関しては勧学寮の問題

Q 石上元総長や池田総長の文章に、「ご消息の発布の手続きやみ教えの内容について、一部の方々が事実誤認の主張をされている事は誠に残念であります」とあった。ここに一部とあるが、そういう認識なのか?

A どなたを指しているかは、わからない。発布の手続きには瑕疵はなかった。法的な手続きは守っている。中身に関しては勧学寮にものを申すべき。私たちは中身までタッチできない。こんなに反対されるとは思わなかったのだろう。(荻野総務)

Q 今回は勧学か所長かどちらの立場で来られたのか。

A この学習会は総局としての学習会なので、総合研究所の所長として。宗門の主として出されたご消息なので総局として勧学寮として説明する意味はある。つらいと思う事もある。しかし我々はご門主を守るべき立場でもある。できる限り務めようと思う。(満井所長)

Q 勧学寮に説明を求めても良いのか。きちっとした勧学寮からの話も聞かせていただきたい。そうでないと私たちはご唱和できない。それまでは教区は返事ができない。(会場に拍手)

A 持ち帰って伝える。(満井所長)

Q 満井所長は、別の研修会でも新しい領解文について難しい問題を抱えていると仰っておられた。問題があるものを、推進しなければいけないのか。僧侶としてどうなのか?

A 色々な問題を抱えていると思う。教学的な問題もある。組織的な面もある。異安心と受け取られないように歯止めをしておく必要があると思っている。説明が十分でないのであれば、再度説明会を開かなければならない。(満井所長)

宗会で取り下げは可能か

Q 領解というのは信仰告白。今までの蓮如上人の領解文は宗意安心にとっても正しい内容であるとして、みんなで出言していた。今度のご消息はご門主が発布されたので、これはご門主の信仰告白として受け取っていいのか?これだけの騒ぎになっているので、宗会で取り下げを行なっていただければ良いのではないか。

A ご門主の信仰告白だと思う。弥陀の救いの原点。これを約仏で語っていただいた。(満井所長)
A 取り下げる事は形式的にはない。依用するしないという事は、確認しないとわからない。宗会の事は宗会議員の方々が決める事。(中井部長)

ご門主に進言は可能なのか

Q このような騒ぎはご門主の耳に入っているのか。

A 制度的には、ご門主に勧学寮員がお会いして、あまたの事例をお話しをするという事がある。(満井所長)

Q 誰も修正ができないのであれば、それは現代で一番嫌われる独裁になる。瑕疵なしというが、それが問題を起こしている。ご門主へ修正を進言する事は可能なのか。

A ご門主の耳にはおそらく入っている。進言が可能であるならば、勧学寮になる。(中井部長)

Q 発布後の修正などは勧学寮の進言があれば、手続き上、不可能ではないのか。  

A 言い切れないが、可能と思うが、断定はできない。(中井部長)

今後の総局の方向は

Q 宗門の中の様々な所で、乖離が生じてしまった。総局の今後の方向性は?

A 現段階で考えは変わらない。ご門主も相当な覚悟をなさっておられると思う。総局は、何とか皆さんにわかってもらおうという思いで臨んでいる。(荻野総務)

意見

・誰を批判するつもりはない。およそ五百年前に蓮如上人がご門徒に「自分の領解をのべよ」と仰った事から始まったと聞いている。現代でも自ら領解を述べることをしていれば、このような事態は起こらなかったのだろう。この機会に、一人一人が自らの信仰告白を修正しながら、正しい領解文ができあがっていけば理想と感じる。

・佐賀教区では、唱和は無理だと思う。総局は意見を持ち帰って、どのように事を納めるか検討してほしい。



いいなと思ったら応援しよう!

新しい領解文を考えてみよう
いただいた浄財は、「新しい領解文を考える会」の運営費に活用させていただきます。