2024年3月8日、浄土真宗本願寺派の総長に就任した荻野昭裕総長は、和歌山教区より選出され現在4期目で、石上前々総長の会派、八五倶楽部に所属しています。石上前々総長の時代に副総務、池田前総長のもとでは筆頭総務を担い、このたび大谷光淳門主の候補者指名を受けて75票中27票を獲得し、総長に就任されました。経歴のとおり生粋の「新しい領解文」推進派のおひとりです。
ここでは学習会における荻野氏の答弁を紹介します。すでに宗務の基本方針に変更がありますが、これまでの言葉としてご参照ください。
北豊教区(2023.8.30)
Q 現場が混乱している現状をどのように考えているのか?
Q 宗派出講者皆さんは、自坊において唱和を推進しているのか?
Q いつまでたってもこの問題は解決しないのではないか?私自身いつまでも理解できないのだが、そういった場合はどうするにか?
Q 冒頭、多くの出席者が従来の領解文を唱和した。その様子を見た感想は?
Q これで理解を得られたものではないことを確認して、学習会の位置づけをしっかりとしてほしい。
Q 先ほどの「満井和上は、勧学寮の解説文に対して違和感はないのか?」との質問が出た際に、荻野総務が「無茶苦茶やなぁ」とこぼされた。どういう意味か?
安芸教区(2023.8.31)
Q「新しい領解文」は成立上も安心上も間違っていると思う。だから他の人にも勧められない。本山や別院などで唱和されていることを、やめてもらえないか?
Q 強制でないのなら唱和する必要はないのではないか?
Q 誰でも間違う。ご門主さまが間違っていたら、それを諌めるのが総局の役割ではないのか?
Q「浄土真宗の救いのよろこび」は領解文の良き伝統とその精神を受け継いだとして記載されている。正確な宗務行為として総長の名前が記されている中で現代版領解文として制定されている。それがいつの間にか「拝読 浄土真宗のみ教え」から抹消され、それまでの記載されていたものは破棄された聞いている。なぜそうなったのか?本来ならば、これが現代版の領解文としてそのままいけばよかったのではないか?
Q「本来ひとつゆえ」の根拠はどこにあるのか?総務に問う。
Q わからんとはどういうことか。推進する総局がわからんという答弁でいいのか?
Q 和上さまの教学を受けなければ理解できないと、この領解文をおさえているのか?ご門徒と一緒に唱和しようとしているのではないか?この学習会そのものの趣旨が、みんなが和上さまほど理解していかなければ、すすめられないということなのか?ご文を聞いただけで理解出来るようにわかりやすく制定されたのではないのか?
Q でも、今わからないと言ったではないか。さらに深めなければならないということか?そうしなかれば、この領解文の意はわからないということならば、わかりやすく皆様にということと反しないか?だから、撤回を求め、改訂を求めている。
Q そうしている間に多くの誤解が生まれる。この言葉は、理解される前に誤解を生む可能性がある。領解文の言葉に誤解を含んでいるということは理解しているのか?
Q ならば、学習が終わるまで、得度の唱和はやめさせよ。
Q その現実が危ないと言っている。
Q 教えられる内容ではないから…
熊本教区(2023.9.4)
Q 勧学寮が学習会にきて説明するところをなぜ来なかったのか?
Q 解説書が出ていること自体が不自然。取り下げてみんなが唱和したくなるようなものを最初から作ってほしい。
佐賀教区(2023.9.5)
Q 石上元総長や池田総長の文章に、「ご消息の発布の手続きやみ教えの内容について、一部の方々が事実誤認の主張をされている事は誠に残念であります」とあった。ここに一部とあるが、そういう認識なのか?
Q 宗門の中の様々な所で、乖離が生じてしまった。総局の今後の方向性は。
兵庫教区(2023.10.25)
Q 法規に基づいて運営されていると説明を受けたが、ご消息の発布や得度修礼に関する手続き上、法規に反するようなことがあった場合は、どのように対応すべきと考えるのか?
Q もしあった場合のことを聞いている。
Q 問題があるか、ないかの質問でなく、あった場合の対応を質問している。
Q 手続きに問題があったとしても、それを無視して続けるかもしれないってことか?手続き上問題があることを、私たちはしないといけないのか?
Q これだけ問題が指摘されている以上、「新しい領解文」の唱和推進を一旦やめて、問題点を一度精査すべきではないか。一度決まったからという理由で推進すべきではない。
Q それは唱和の強制ではないだろうか?得度式において自分の子どもが強制されてしまうことになってしまう。「和顔愛語」を掲げるなら、「新しい領解文」を唱和したくない人にも優しくしてほしい。
Q 配布資料に「唱和は強制でない」とあるが「宗勢基本調査(2026年予定)において、寺院行事での唱和100%をめざす」ともあるのは矛盾してないか?
石川教区(2023.12.12)
Q「浄土真宗の救いのよろこび」は生きているのか、依用しないのか?
Q 新しい領解文の問題より賦課金制度の問題などもっと大事なことがいっぱいあるのではないか?
Q 検討したり修正することは出来ないのか?これだけ問題が出ながら、ご門主が言ったからの一点で強行すると、いずれ門主制にまで傷を付けることになるのではないか。
Q これが間違いないものとして、唱和していこうと本当に思っているのか?
Q あらゆる場面で唱和するというのは、領解出言の意に反するのではないか?