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どうして生じた?領解文問題/オンライン講座

8月19日に行ったオンライン連続講座「どうして生じた?領解文問題」の内容をテキストで公開します。


松月博宣

なぜこの問題を注視しているのか

こんばんは。松月でございます。
この度、「新しい領解文」が公開されまして、もう既に7ヶ月半、関わり続けております。何故私がこの問題に関わり続けておるかと申しますと、私は小学校3年か4年ぐらいの時から、もう既に領解文に親しんでおりました。その領解文が、「新しい領解文」という形で発布されまして、私が聞いてきたことと違うぞ、と非常に大きな違和感を感じました。そのことから、何故、「新しい領解文」が出てしまったんだろうか。賛成派とか、反対派という表現が昨今されますが、そうではなく、自分自身が心から唱和できるのかどうか。その視点で物事を考えていかなければならないんじゃなかろうか。「新しい領解文」の発布の経緯に疑義があるから反対、あるいは賛成、これは間違ってないんだ、正しいんだ、という論議ではなく、「自分自身がこれを心から唱和できるのか」ましてや、「ご門徒の皆さん方、あるいは若い方々、未信の方々に堂々とこの内容でお伝えできるのか」と、そのことをまず私たち自身が考えていかなくてはならないんじゃなかろうかなと。賛成反対という単純なところで問題を矮小化しては、この問題はなかなか解決しないのではなかろうかと考えております。

ただ一つ言えますことは、この度の「新しい領解文」が発布されたことで、色々と問題点を私自身が感じましたので、改めて宗意安心、私の信心というものを問い直す大きなご縁を賜った感じがいたします。そういう意味では、決してこの度の混乱は喜べることではないが、ありがたいご縁とも受け取らせてもらっております。

私にとっては「新しい領解文」を唱和せよ、と言われることは、私自身の「宗教的人格権」と言って良いかもしれませんが、侵害をされているような、いたたまれない気持ちになっております。これは、何も「新しい領解文」に関してだけではなく、2021(令和3)年4月15日、ご親教で語られた「浄土真宗のみ教え」を教区の研修会や布教団の研修会・協議会等で、必ずこれを唱和せよとプログラムの中に入れられるようになりましたが、私がお聞かせに預かったことと違うものですから、唱和ができないと意見表明もいたしましたし、実際そういう行動も起こしてまいりました。それがこの度は、ご消息という形で、領解文という形で発布をされてしまったという。そこにこの度の大きな問題があるように思います。

領解文問題のはじまり

この「新しい領解文」も今に始まった話ではございません。今から20年前、2003(平成15)年です。不二川公勝という当時の総長さんがいらっしゃいました。この総長さんが、領解文が現代人には分かりにくいので、分かりやすい領解文にしたいということを総局の中で発言をされたようです。そして試案として、不二川総長自ら領解文の現代語訳を作られ、各総務さんにお示しになられたことがあったそうです。実はそこからが始まりなんです。それで、不二川総長の総局が発足した時点から、領解文が現代人にはなかなか分かりにくいから、現代人にも分かりやすいものとして現代語訳をしようという発想のもとに、2011(平成23)年に大遠忌法要を迎えるにあたっての宗門長期振興計画というものが策定されました。その中で、時代に即応する教学の総合研究の中の推進事項として、浄土真宗の教議と信心(現代版領解文)の制定が掲げられました。そこからが現代版領解文を作っていこう、策定、制定していこうという動きが公式な形で始まりました。

浄土真宗の救いのよろこび

これは教学センターだったと思いますが、現代版領解文制作について研究なり作業が始まったようです。その中で一応、現代版領解文とは規定はされませんでしたけど、浄土真宗の教えを現代の人々に親しみやすい表現によって示し、正しく領解した上で味わいを深めることができる文章を作ろうということが企画されまして。その研究成果として領解文の良き伝統と、その精神を受け継いだものとして「浄土真宗の救いのよろこび」というのが2009(平成21)年に、不二川総長の時代に完成をいたしました。そして、『拝読・浄土真宗のみ教え』という、黒い表紙のものですね。それに「浄土真宗の救いのよろこび」が掲載されました。これは非常によくできた内容でございまして、私どももこれを拝読をさせてもらいましたし、布教現場においても披露しながら、お話をいたしてもおりました。非常に浄土真宗のみ教えというものの肝要を、きちんと押さえた上、往還二回向でさえもきちんと押さえた見事なものでございました。それが色んなお寺においても、特に私どもの福岡教区において、この救いのよろこびを重用いたしまして依用されておりました。

現代版領解文の制作、再スタート

そういうことがあったのですが、大遠忌法要が終わりまして、宗門長期振興計画は12年計画でしたが、これを2年前倒しをしたんじゃなかろうかと思います。前倒しして、次の伝灯奉告法要と、そしてもう一つはご開山様(親鸞聖人)のご誕生850年・立教開宗800年法要を迎えるために、宗門総合振興計画が2015(平成27)年にスタートいたしました。その中に、現代版領解文の制定というものも加えられておりました。その時の総長は先に辞任された石上総長です。現代版領解文制定の計画にあたっては、それまでの計画の中とはちょっと文言が違いまして、“権威あるもの”という言葉が加えられました。では、それで早速作業が進んだかと言いましたら、私もその辺は詳しくはございませんが、主だった・目立った制定に向けての協議というものや委員会は設置されておりません。それで、しばらくそのことが据え置かれたと言ってもいいと思いますが、そのような状態でございました。

そして、2016(平成28)年ですね。伝灯奉告法要の初日、10月1日に、ご門主からご親教、『念仏者の生き方』が語られました。私もその時ご影堂の中でお聴聞させてもらったんですけど、少し違和感というのか、念仏申す者の信仰生活は必ず変わっていくんだ、生き方自体が変わっていかなくちゃならないんだ、そういったところに非常に力点の置かれたご親教であった。その点に、少し方向が変わるんだな、という違和感とともに、果たしてこれでいいのかな、という思いがいたしておりました。そうこうしているうちに、2019(令和元)年、『拝読・浄土真宗のみ教え』の冊子の中から、「浄土真宗の救いのよろこび」が突然削除されて編集発行されてしまいました。なぜこれが削除されたのかということは、その前年、11月だったと思いますが、ご親教で「私たちのちかい」というものを若い方々に、あるいは未信の方々に唱和をしてほしいとご門主のお願いのもとに発布されたものと、ご親教「浄土真宗のみ教え」、前門の「浄土真宗の教章」(私の歩む道)、前々門の「生活信条」を入れるために、「浄土真宗の救いのよろこび」を削除する。

その削除する理由というのが私どもにしてみればちょっと分からないんですね。漏れ聞くところによると、出拠が明らかでない、という理由で削除し、ご親教「私たちのちかい」などがスライドをしてそこに掲載されたという経緯がございました。私どもの福岡教区の先輩方や同輩方がこのことに非常に危機感をもちまして、教区の実践運動教区委員会として、あるいは個人名でご本山の方に建議なり嘆願書で、「浄土真宗の救いのよろこび」を現代版領解文としてスライドしてほしいと訴えておったんですけど、そのことに対して何ら回答がないままほったらかしに長いことされておりました。

現代版領解文制定方法検討委員会

そんなこんなしておりましたら、突然に、2022(令和4)年、去年の3月の常務委員会で、突如「現代版領解文制定方法検討委員会設置規則案」を法規案件として上程されました。それはどういう法規案かと申しますと、その時の石上総長の説明では、第1期計画当初からの懸案事項であり制定方法を含め、さらに慎重に検討を進めたいと。現代版領解文がまだ制定されていないことに対して、各方面からお叱りを受けているという提案理由で法規案が常務委員会に上程されたという事です。常務委員会というのは、そのメンバー構成から申しまして、総局が提案したことをほとんど追認するという追認機関になっております。そこで上程されたものを否決することが不可能に近いような現在の機構です。その時、ある常務委員さんから20年近くも実現できなかった、つまり現代版領解文が制定できなかったのは、作る必要がないと判断していいんじゃないだろうか、よってこの法規案は不必要な法案であり反対であると。そういう反対意見を申されましたけど、いかんせん少数意見でございまして、総局が上程した通り、この現代版領解文制定方法検討委員会というのが設置をされる。

そして、去年の9月から、この制定方法の検討委員として徳永前寮頭(寮頭)、浅田和上(寮員)、太田利生和上(寮員)、北塔和上(中央仏教学院の院長)、満井秀城和上(総合研究所副所長)、入澤崇(龍谷大学学長)、この5人で制定方法について検討を5回なされております。しかし、これは内容について制定を検討するのではなく、現代版領解文をどのような形で制定したらいいのかを検討するだけの委員会、なんら内容については深入りすることはならぬ、と何かしらの枷をはめた形での委員会が行われたようであります。その中でも、浅田和上は相当厳しい意見を申されております。「もともと、領解文というものの意味とか、あるいは本質というものを検討することなく、安易に領解文を新しく制定するということは不可能なんだ。だから、この制定方法検討委員会自体も無しに、ゼロベースで物事を考えていかなくちゃいけないんじゃなかろうか」という強い意見をされたんでありますが、既にその前の年でしたか、「浄土真宗のみ教え」がご親教で語られた時点から、現代版領解文にスライドさせようという目論見があったようで、「新しい領解文」を、「浄土真宗のみ教え」を現代版領解文としていくという方向付けのためだけの制定方法検討委員会の設置であったと、結果的にはそういうことだったんですね。

そして委員会が11月8日付で答申を出しました。その中で一番重要な答申書では「領解文という言葉は混乱を招くから使用しないということ」という意見を記載し、今までの従来の領解文とは位置付けが違うものとして、現代版領解文は制定していく必要があるんじゃないだろうか。そういったことも答申の中に書かれております。そして本来の領解文について、現代の人々にも分かりやすく伝わるような解説文を作成し、さらにこれの普及に努めなければならない。そういったことまでも答申書には書き込まれております。

11月8日に答申を出されましたので、勧学寮としては制定方法が決まったのだから、内容について審議あるいは諮問がやがて降りてくるだろうと待っておった。けれど、なしのつぶてであった。そして12月14日に突如、「新しい領解文」についての消息が内事部から提示された。その時の内容については寮員一同、驚天動地、あいた口が塞がらない状態であったという。なぜならば領解文という言葉が使われていた。混乱を生むから使わないようにと答申できちんと書いておるにも関わらず、領解文という言葉、おまけに「新しい」という言葉が付いている。そして内容は前年にご親教で語られた「浄土真宗のみ教え」、それに第2段目の師徳段を加えたものであった。

勧学寮としてはそれをどのように考えるか、この時、寮員会議が開かれております。実は寮員会議が開かれたのは1回のみです。これを同意するかしないかの話し合いはなされておりません。「新しい領解文」の宗意安心上の問題点が色々と挙げられましたが、それを3つに絞って指摘したものをあげております。つまり勧学寮としては、内容について問題があるということは、提示されたものでは同意できないということですよね。ですから当然それに対して変更になったものが下ってくるはずなんだけど、上申したことについては何も返答はなかったそうです。

最近、武田前執行長さんが全宗会議員さんに配布された文書が、盆前に送られてまいりました。その中で当時の徳永寮頭が同意した経緯について打ち明けておられます。今年の2月3日に寮頭は辞表を提出されております。表面上は一身上の都合となっておりますが、この度の武田執行長の文書によりますと、これは引責辞任である。なぜ引責辞任に至ったかというと、先ほど申し上げたように問題点を3つあげたにも関わらず、それに関して何も返答はないままに、おそらく総局の意を受けたんだと思いますが、統合企画室の室長さんが寮頭に面会を求めてきたそうです。その時、勧学寮の部長さんは何か所用があって同席できないということで、一対一で寮頭と室長さんが会談をなさったようです。その時、3つの問題点を指摘したものに対して答えることはなく、これはご門主様のご意向であるから、あるいはもうすでにご親教で語られた内容であるから、同意してもらわなければ困る、というお願いをされたようです。

それで寮頭も室長さんからの懇願に惑わされたのではないか。寮頭にしてみれば、ご門主を大事になさってらっしゃる。そういうお立場でございましたので、ご門主を守らなくちゃならない。室長と一対一の面談で寮員方には相談できる状態ではございませんでした。その面談の中で、そこまで言うならば分かったと、内容に問題があるままに寮員に相談する事なく寮頭単独で同意の意向をなさってしまったという。宗意安心について勧学寮員全員の同意がなければならないという規則があるんですが、寮頭が独自で同意をされてしまった。

あと聞くところによると、寮頭と会談の後に室長はすぐ勧学寮部長を交え、会談内容の確認会をし既成事実化を計っています。ご門主には勧学寮の同意があったと報告されたと聞いております。その後、寮員の方々に寮頭からこういう事情で同意をした、しかし内容的には寮員会議で話をしたように問題点は多々ある。このままもし発布したならば誤解が生ずることが多々あるから、もし可能ならば真宗義にかなうように無理やりでもいいから会通をしてほしいと。つまり解説文を書いてほしいということをなさったそうであります。そしてある勧学和上が下書きをなさいまして、その文案に対して集まって検討をする時間はなく、メールなり電話なりで制作をされていったと。そういうことだそうです。ですから徳永和上にしてみれば不本意な同意であった。そして寮員方には事後承諾という形で、すでにご親教で語られた内容とほとんど同じなんだから、これをもし不同意としたならば、ご門主を傷つけることになる。我々は一面ではご門主を守る立場でもあるから、自分の判断をとにかく了承してほしいという形で進んでいったようです。

領解文問題は止められなかったのか

これだけの問題が起こる前に、領解文問題を止めるチャンスが3度あったと思います。1つは勧学寮頭の判断ミス。あれさえなければこの度の混乱はなかったに違いございません。いかにご親教で語られようとも、どんなプレッシャーがかかろうとも、違うものは違いますと。宗意安心に沿っておりませんと、寮頭が頑として返事をしてくださっておるならば、この度の混乱は起こらなかったはずであります。また寮員方もその寮頭の判断を良しとされてしまったこと。これは和上方を責めるわけではございませんが、 その時、寮員方が寮頭に、違いますよということを、あるいはその解説文を書く最中に、やっぱりこれは違うということをなぜ言ってもらえなかったのか。勧学寮というのはご門主のご信心を守るお立場だと思います。そのご門主のご信心を守るために勧学寮というのは設置されてるはずなんだ。その肝心要のところの判断ができなかったということに、大きな瑕疵があったと思っております。だけどその同意という判断に大きく影響を与えたものがある。それが実はある室長と寮頭の面談であった。ですから寮頭あるいは勧学寮の判断ミスということに対して、統合企画室室長が影響を与えてしまったということが、この度の問題の根底にあるような気がいたします。

2つ目に止めれるチャンスは、宗会での唱和推進をいったん保留してほしいという請願書です。あの請願をもし宗会の議員先生方が採択をしてくださっておれば、議長さんはおそらく「宗問内の意志としては唱和推進ということは慎重に扱うようににある」と議長として立法府として行政(総局)に意見を回付ができたはずなんです。そして宗会の意見、意思を総局としては決して無視はできないはずでありますから、総局も唱和推進、あるいは宗務の基本方針を修正なり訂正はできたはずなんです。だからあの請願が不採択になったということが、問題を止めることができなかった2つ目のポイントでした。

3つ目は石上総長が健康上の理由で辞任をされました。はたして健康上の理由が本当なのか分かりませんが、ご門主から次の総長候補ご指名がございました。そのご指名にあたっては、おそらくご門主としては領解文問題にからめられたわけではないと思います。人物を見て総長として宗門内あるいは対社会的に視野の広い方、大局からものが考えられる方として、総長候補をお二方ご指名になったに違いございません。しかし池田氏が総長候補の1人として指名を受けた後、宗会の各会派に投票依頼に回られた時、「領解文問題はどうするのか」という質問に対して、それは当選した後に申し上げると答えられたそうです。ある会派の中では、いやいやこれから選挙なんだから自分の意思を示してもらえないと投票のしようがないと質問を投げかけたら、「前総局の方針を継承していく」と言明された。そして現在の新総長、総局が発足しているという。

実はあそこで宗会議員さんが領解文問題のことを考えて、これは本当に宗意安心を根底から覆してしまう、塗り替えてしまうほどの大事なんだという認識があったならば、もう少し違った展開があり得たんじゃなかろうかなと。そういう意味で宗意安心のことが問題になっているんだけど、その自覚のない宗会議員によって現在は政治的な問題になり、政治的な決着でないとこの問題は解決できないという状況に陥っている状態でございます。

ちょっと長くなりましたが、言い足りないところは話し合いの中で語っていこうと思います。失礼いたしました。

松月 博宣
浄土真宗本願寺派僧侶
龍谷大学文学部仏教学科卒業。本願寺派布教使。
福岡県海徳寺前住職。
https://www.kaitokuji.info/


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