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本願寺派の総長選挙

323回定期宗会における総長選挙は異例の白票数でした。現在の総長選挙は昭和27年の「総長選挙規程」の変更により、門主の総長候補者指名を受けて行われます。以来70数年の間で、白票34票は過去最多でした。次いで過去に白票が多かったのは平成18年の白票12票です。また、27票での当選も過去に類がなく、これまでに2名の候補者で行われた総長選の平均得票数が56.7票であることからみても、明らかに支持の低い結果と言わざる得ません。

今回の総長選挙で白票が増えた原因は、総長候補者が前総局の総長と筆頭総務であったため、「新しい領解文」の推進派2名が候補者となり、推進反対の議員にとっては、票を投じる候補者が不在であったからだと見られます。新総長のあいさつでも「白票の意味は理解している」とあったように、この事態を重く受け止めて総長の責任を果たしていただきたいと願っています。

(総長の任命手続)
第3条 総長は、教師のうちから門主の指名する2人又は3人の総長候補者について、宗会が選挙を行い、その当選人を門主が任命する。

現在の総長選挙になった経緯は池田前総長のブログにはこのように記されています。

そもそも戦前の浄土真宗本願寺派の宗務運営は、本願寺の執行長一人と執行若干人より組織された内局を中心に運営されてきました。しかし、戦後、占領下での教団の民主化を背景とした宗務機関の改革によって、総長一人と総務若干人をもって組織された総局を中心に宗務が運営されることになりました。そのため総長を選出する法規が必要となり『総長選挙規程』(昭和二十一年)が発布されました。
 『総長選挙規程』第一条には、「総長は、宗会議員の四分の三以上出席した宗会で、総長候補者推薦委員会が、予め定めた総長候補者の中から、無記名投票によって選挙される。」とありました。しかし、「求めもしない総長にまつりあげられ」たり、「議長、副議長脱党、新党成立から更に総長候補推せん委員互選と次から次えと折合いがつくかと思うとモメ、モメるかと思うと妙に展開しておさまるという異状状態をつづけ」(「雑記帳 真宗」、「西本宗会 光照門主が宗会を厳戒」、『中外日報』昭和22年1月24、同25日)たため、昭和27年3月25日発布の『総長選挙規程』第一条は「宗法第三十六条第一項及び宗規第八条第一項の規定に基き、門主が指名した総長候補者について宗会が行う選挙に関する手続き及び当選人の決定は、この宗則の定めるところによる。」と、それまでの総長候補者推薦委員会による総長候補者推薦から、門主による総長候補者指名に改められました(宗会百年史編集委員会『本願寺宗会百年史 史料編上』昭和55年10月7日)。
~中略~
つまり、門主の総長指名制は総長選挙をめぐる宗会の「異状状態」を背景とし、その宗会の混乱の中で、「宗門の本来の姿を具現して行こうという趣旨」から提案されたものでした。言い換えれば、宗会の「異状状態」の収拾の手段として、かつまた、「門主の意思がより強く門末全般に反映するように」と「門主権の確立」が主張されたわけです。

宗法改正論議の深層① 総長指名制について/慈願寺

戦後、民主化を図るために総長候補者推薦委員会を設けて行われていましたが、時機相応だったのか、わずか7年ほどで民主化を諦め門主指名に変更されました。それから70年以上の時が過ぎ、再び「異状状態」が起きています。

以下、2009年までの総長選挙を紹介します。それ以前の情報は末尾のリンクより池田前総長のブログをご覧ください。


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