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長崎教区学習会レポート-教えの根幹に関わる問題-

長崎教区の学習会では二種深信(にしゅじんしん)が論点になりました。 二種深信とは、救われようのない私(機の深信)を、阿弥陀仏が必ず救う(法の深信)という教えのことです。本願寺新報(2020年6月10日号)に掲載されている満井所長の解説「二種深信」にはこのように記されています。

●「これは、浄土真宗の法義から言って、どうなんだろう」と迷った時に、この「二種深信」を当てはめてみると判る場合が多いのです。

●二種深信とは、私の救いを考えるにあたって、「機(私)の側」と「法(仏)の側」と両面での表現ということです。

●ここで注意しなければならないのは、「機(私)」の深信と、「法(仏)」の深信が、どちらが先で、どちらかが後という、前後関係ではないということです。

●これを古来、「二種一具」(この二つは一つのもの)と称しています。

この2つで1つとする二種深信に関して、「新しい領解文」には「機の深信」がないということを「勧学・司教有志の会」の声明でも指摘され、今回の学習会でも各教区で問われています。 機の深信が欠けている理由としては、総局側を代表する満井所長は安芸教区の質疑応答で、

戦後教育を受けた現代人の8割以上は自己肯定の土壌にある。その土壌にある者にとって罪深い、浅ましいという内容は拒否反応を抱いて入口にもならないのではないか

と答弁されました。

長崎教区では、まず最初の質問で、寮員でもなく解説文にも携わっていない満井所長が担当しているのはどういうことかが問われ、その責務を辞退し、勧学寮を伴った学習会を開くべきと指摘がされました。それを前提に、満井所長がいう「8割以上は自己肯定感が高い」という根拠は何かを問い、海外の布教現場での事例と満井所長の経験値による意見であることが述べられました。それに対して、日本人の自己肯定感は30年間下がり続けているという早稲田大学の統計や、教育現場においても自己肯定感が低いことを前提に教育が行われていると指摘されています。

また、機の深信がどこに説かれているのかの問いには、「私の煩悩」と「愚身」をあげ、「私の煩悩」に関しては早々に取下げました。「愚身」に関しても根拠を示せず、機の深信がないことを露呈しました。その上で、そのような文章を申達した総局の責任が問われ、三好総務は、

何の打合せも出来ていないため今すぐには根拠を示せないが、総局に持ち帰り改めて報告する

としました。肝心な箇所の根拠が示せない文章でありながら、今も得度で暗唱を強いられ、各所で唱和が行われ続けています。

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