2024年1月24日に開催された山陰教区の学習会より、質疑応答の要約を記します。質問と回答に絞っているため、さまざまなご意見は割愛していますことをご了承ください。
学習会での発言を監正局へ申告する事はあるか
Q 確認をしたい。深川和上が監正局に懲戒申告された、それは宗門の秩序を乱した事が原因だと聞いた。そのような事があると我々も発言しにくくなる。
誤解を生む文章を推進するのか
Q 本山の法要に参拝されたご門徒が新しい領解文を読んで「わかりやすい」と仰った。念仏者の生活、やるべき事が書いてある、目指すべきところが書いてあるからだと。私は危険だと感じた。間違えやすい文章になっているものを、唱和推進するという事はどういう事か。
誰でもそのまま救うのか
Q「そのまま救う」を喜ぶご門徒がいる。その方は新興宗教の幹部。いままでの領解文には「雑行雑修自力の心をふりすてて」とある。それが抜けているように感じる。
勧学寮同意の書類について
Q 勧学寮員5名の中の2名が、「ご本山から発布があって、刊行物を見て驚いた」と仰っていた。この2人は「制定の承認の会議にたずさわってもいないし呼ばれてもいない」と言われている。この制定された時の議事録は開示されないのか。徳永前寮頭が承認の印をされた書類も開示がされているのか。昨年3月頃に石上前総長が、一部の宗会議員方へ徳永前寮頭が押印された文書のコピーを配布されたと言われている。これは見たことがあるか。そもそも同意に関する会議が行われたのか、議事録などの確認をされたか。
改悔批判に2つの領解文を出された意図は
Q ご本山の改悔批判の時に2つの領解文を用いられた意図はなにか。
Q 両方とも認めたという事か。出言はあなたのご安心を言いなさいということ。
Q 区別したという事は、推奨と出言は同じでないという事。
Q 安心と仏徳讃嘆の違いと考えてよろしいか。
教えと内容が違うように感じる
Q 新しい領解文のご消息を聞いてショックを受けた。今まで聞いてきた浄土真宗の教えと違うと感じたから。領解文なのに、「浄土真宗のみ教え」に師徳が書かれたものだった。まず領解文なのに(浄土真宗のみ教え)と書いてある。領解は自らの教えをいただいて出言するもの。それを仏さまの側からの視点で語らなければいけないのか。改悔批判で新しい領解文を用いた事もショックだった。現代の人は「生死出づべき道が課題になりにくくなっている」と和上は仰った。そこにあきらめを持って、そうではなくて現代人がどのように生きるべきか、社会的にどのように貢献することの方が大切なんだと言っているように感じる。では仏教の救いは一体なのか。
Q 浄土真宗の救いとは一体何か
Q 私の迷いの事実はどこで読み取るのか。
Q 本当か。新しい領解文を唱和していくと、みな浄土へ往生していきたいと思うという話か。
Q 浄土真宗は大無量寿経の教えだが、新しい領解文(浄土真宗のみ教え)というのは内容は全部大無量寿経という事か。
Q 教義に対して「思う」という表現はあまりしない方が良いと教わったが。
総会所での法話後の領解文は
Q 名称について。浄土真宗のみ教えという事と領解文という名前が同じ内容ではないにも関わらず、併記されている事が非常に大きな問題の一旦かと思います。領解はお聴聞させていただいた後にするものだろうと思う。総会所の布教後の領解文も唱えられなくなったと聞いたが。
領解文がわからなくなってきた
Q 領解文は悔改批判とセットと思っていた。満井所長が仰る領解文とは何か。だんだんわからなくなってきた。
Q では満井所長が考えられる領解文は一体どんなものなのか。
ご自坊での推進姿勢は
Q ご自坊では納得されて推進されているのか。
本当に唱和100%を目指すのか
Q 従来の領解文も用いるという事を聞いていると、一方で100%の唱和を目指すと示されている事に、矛盾を感じる。
英訳はどのようになっているのか
Q 新しい領解文の英訳はどこで見れるのか。
説明がないと誤解を生じさせる
Q 説明を聞かないとわからない。誤解を生じさせてしまう文章ではないか。
他社の出版物での掲載は
Q 読みにくい、言葉に出しにくいと感じる。他の方も仰っていた。大乗仏教において、それは致命的ではないか。できる事であれば、宗派外の出版物に掲載する領解文は従来の領解文のみを掲載した方がいいのではないか。
意見
・大変なご法務をこなされるご門主を尊敬している。人としてのお付き合いをさせていただきたい。
・仏教の衰退は、僧侶の怠慢である。私も反省している。