〈私の音楽史〉
今回は、私と音楽との関わりについて書こうと思います。
実は私、実家がレコード屋さんだったんです。
昭和の古い個人経営の。
私が中学一年の春に辞めてしまったので、もうかれこれ40年は経つでしょうか。
私の曽祖父は、戦前に旧満州で満鉄の駅長さんをしていたそうです。そこへ、親に言われるまま、顔もろくに知らないでお嫁に行った曽祖母。そんな時代だったのですね。
その二人が満州から引き揚げてきて、始めたのが蓄音器屋さんだったそうです。初めは蓄音器を売っていたのが、時代と共にレコードへと移り変わり、私の子供の頃には、地域の個人経営の店としてはかなり大きいお店だったようです。新人歌手がキャンペーンで来たりすることもあり、私の記憶にはないのですが、あの美川憲一さんや森昌子さんと一緒に撮った写真がありました。榊原郁恵さん、高田みづえさんは記憶に残っています。西郷輝彦さんと遊んだこともありました。取り扱っていたレコードも幅広く、歌謡曲はもちろん、クラシックから演歌、民謡まで、色々なレコードがありました。もちろん、店の一画では、蓄音器から姿を変えたステレオも販売していました。
そんな店が遊び場だった私は、小さい頃から音楽が身近にあり、いつでも聴き放題でした。クラシックコーナーに試聴用のプレーヤーが置いてあり、聴きたいレコードを持って行ってはかけてもらうのでした。
記憶にはないですが、2歳の時にザ・ピーナッツの歌をテレビの前で歌って踊っていたと、後に母から聞いた話です(笑)
小学生の高学年の時には、ピンクレディを妹と二人で卓袱台の上で踊ったり(踊る率高め)笑
その後TVドラマの影響もあってゴダイゴとか。小学6年だったかな。それからABBAのダンシングクイーン… ちょっと変わった小学生でしたね。
中学一年で店を辞めてしまったので、それからはレンタルして聴くことになるのですが、中学、高校とハマっていたのがビートルズとモンキーズです。ビートルズに関しては言うまでもありませんが、モンキーズはご存知ない方も多いと思うので、ちょっと補足しますと、忌野清志郎さんがカバーした《デイドリーム・ビリーバー》という曲を歌っていたグループです。私はこのモンキーズがビートルズよりも好きで、何曲も英語の歌詞を覚えては、クラスメイトの前で歌っていました。(興味なかっただろうにごめんね)
他にも好きだったのはバリー・マニロウです。
全く友達と趣味が合わない。そういう意味では、少し孤立していたかもしれません。
OL時代は、それこそ色々な音楽との出会いがあり、20代前半ぐらいでよく聴いたのは、ジャズ、アルゼンチンタンゴ、ポップス、ロックですね。
その時聴いたのは、今でも好きです。
結婚し子供が幼稚園に入る前ごろから、コーラスを始め、グループの立ち上げメンバーの一人となりました。もう20年以上経つんですねー。早いものです。
私の所属するグループは、いわゆる合唱曲というのはあまりやっていなくて、ポップスが多いのです。先日のnoteで書いた、ライブでやったような曲ですね。
他にもアニメのジブリ作品の曲なんかも歌っています。
私の知らない歌もたくさんあるので、ここで覚えます(笑)
まぁ、はっきり言って、歌う曲と聴く曲は全く違うのですが、それは住み分けということで、いいんじゃないかと思います。
まとまりがなくなってしまいましたが、音楽は常に私の近くにあるということ。私は音楽が好きだということ。この二つはこれからも変わらないと思います。