住んでみて学ぶこと
どこでも住めるとしたら
もしどこでも住めるとしたら海外かなぁとか、そうすると英語がなぁ…
いろいろ考えてみたんですが、結局は今、住んでいる場所が1番なんだなぁという結論になりました。
それでも2年間、新潟に住んでいたことがあってその経験は自分の中でかなり貴重なものだったので、その体験を書いてみようと思います。
仕事の関係で始めて住むことになった雪国。
雪かきをした時に始めて、雪国に住むってこういうことなんだなぁと実感しました。
雪かきは想像以上の重労働でした。
和歌山では感じることがないんですが、雪って重いんです。
そして雪かきはちょうど腰が痛くなる角度で作業しなくてはなりません。
しかも、冬はほぼ毎日やらないといけないという辛さ。
雪かきの「思いやり」
雪かきで学んだのは大変さだけでなく、思いやりでした。
雪かきをする時は当然、自分の家の前だけのことを考えるわけにはいきません。
ご近所さんがいるので、取り除いた雪を移動させる場所はすぐ隣というわけにはいきません。
駐車場の自分の車の前の雪をどけたけど全部、隣の車の前なんてことは出来ません。
面倒でも邪魔にならないところまで運ばなくてはなりません。
まず、ここで隣の人のことを考えるお互い様精神があるわけなんです。
しかし、今日は書く「思いやり」とは余力があるからといって隣の家の分を全部やってしまうのは、実は親切ではないという話です。
全部やるのはお互いにとってマイナスを生んでしまう。
もし、お隣さん大変そうだなと思って隣の家の前まで全部、雪かきをしたとします。
その日はお隣さんは感謝するでしょう。
しかし、次の日は余力がないので自分の分だけだっとしたら、お隣さんはすでに全部やってくれたいたという経験をしてしまっているので期待してしまいます。
で、何もなければ少しだけがっかりします。
逆の側からすると全部やるという行為を行ったので、いつか全部やり返してくれるという期待感を持ってしまいます。
そこでいつまでたってもやってくれないと、がっかりしてもう二度と手伝いはしなくなります。
いいことをやったはずが、続く行為になっていかない。
では、どうすればいいか、余力があったとしても自分の家と隣の家をあわせて10割としたら、6割だけやる。
いつもより1割分だけやっておく。
この1割でやめてくことがとても大切な「思いやり」です。
1割であれば、隣の人は少しだけ嬉しいし、恩をそんなに感じません。
それでも、自分に余力がうまれたら少しやってあげようかなと思えます。
やった側も1割分なんでそこまで見返りを期待しなくて済みます。
こういう思いやりのある行動を取ることが、持続可能でみんなが幸せになっていける行動だと思います。
世の中にあふれる勝手な「思いやり」
今の話は実は雪かきに限りません。相手のためだからと良いことだと思い、全部やってしまい感謝や見返りを求める。
何もなければ勝手に不満を持つ。やってもらった側も頼んでないと言い出す。
こんな不幸なループがいたるところで起きている気がします。
人のために何かやろうと思った時、そして行動に移す時、6割の雪かきを頭の片隅にでも置いて欲しいなと思います。
新潟という別の場所に住んだからこそ学べたことです。
別の場所に住めば別の文化があり、いろんなことを学べるのでどこに住んだとしても間違いなくいい経験になるんだろうなと思います。
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