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塩見きらさんも読んじゃダメです
「小心者!」
「下がって」きた。
限界的に調子が悪かった8月9月
小康状態だった10月初旬
また悪化した10月末から11月いっぱいを経て
12月中旬からだいぶ調子がよかった。
ほんとうに調子がよかった。
特に10月11月の「落ち方」はえぐかった。
私がみんなの事を大好きなように、みんなも自分のことを愛してあげてねhttps://t.co/WNCcVN788N@MIKA_KMYD
— りょうっう (@TownEar) November 11, 2021
自分を愛する方法を一生懸命考えていた。
愛してあげたいと思えば思うほど、愛せなかった。
頑張って自己を肯定しようと思えば思うほど辛かった。
この時間にlionのMVを見てしまった私は 自分の今をもっと肯定してあげたいのに 何故かなかなかそれが出来ない現実にもどかしさを感じて もう涙がぽろぽろ流れてくる
— りょうっう (@TownEar) November 23, 2021
時期的なこともあって、lionをずっと聞いていた気がする。
もちろん、11/24の朝も聞いていた。
相当な不眠症になっていたが、長い夜を一人で過ごすのが寂しくて配信を聞いていた。
さいきん夜寝れなくて毎晩@taberucosanの yell liveみてるんだけどなんか見覚え聞き覚えがあって ようやくDSPMSTARSの人だ と繋がった 自分はもともとるぃるぃのオタクだったので 何回か見たことがあったかも
— りょうっう (@TownEar) November 19, 2021
例年冬は鬱になる。
季節性感情障害という疾患概念があるが、自分はそれなんじゃないかとさえ思う。
数年前は、朝起きられないとか、起きても吐き気がするとか、そういう時期もあった。
だが、今年の12月は本当に調子がよかった。
12月は実習がなく、十分な睡眠時間が確保できたからだろうか。
神宿の特典会の再開
わーすたの推し 坂元葉月の卒業
10年間会っていなかったアイドルとの再会
などなど、精神を動かす様々な装置があったからかもしれないし、
たまたまかもしれない。
1月も序盤は順調だった。
むしろ躁病にでもなったかのように
特典会を回し
現場を回し
色んなアイドルにやっすい言葉を投げかけ
てきとーに「〇〇ちゃん好きー」とか言いまくって
なけなしの自己肯定感を高めていた。
だが、下旬になって「下がって」きた。
よく言えば、ようやく「落ち着いた」ともいえる。
双極性障害Ⅱ型(軽い躁状態と重めの鬱とを反復する疾患)ではないかと思っていた時期もあったが、自らDSM-Ⅴという分厚い医学の本を開いてよーく読み込んだ結果、自分はそれには当てはまらないことがわかってしまった。じゃあなんなんだよって思って却って救いがなくなった。
双極性障害なら薬でどうにかなるパターンもあるはず。
じゃあ自分はなんなの? よく分からなくなった。
死のうと思ったことはない。
少なくとも、
自分がこの世に残した「いいこと」が、自分がこの世でしでかした「よくないこと」より多くなるまでは死ねないと思ってる。
死にたいとは思ってはいないが、
人生が無価値だなと思うことはある
今その気分になっている。
生きる理由ってなんだろう。よくわからない。
誰かに生きる理由を無理やり決められるのは嫌
でも自分で生きる理由を見つけるのは大変
エーリッヒ・フロムが『自由からの逃走』でそんなことを言っていた気がする。
「私の生きる意味になった人が君でよかったな」という歌詞の曲があるが
それは確かにそうだったし、今もそうであることには変わりないのだが、
一方で、そういうことまで考えられる精神状態ではないというか、
他者との関係性の中で自分の生きる意味を定義する余裕はないというか。
確かに生きる意味になった人は君なんだけど
生きる意味は確かにあるんだけど
そう思っている自分自身を今はどうにも好きになれない、というか。
自己肯定できないものはできないんよ
(うまく言語化して伝えられないな)
明智光秀は緑舁夫 っていう説を出してるんだけど(唐突)
それもそういうことよね
知的で理性的に振る舞う最高の家臣なのだが、主君に尽くしているということに自己肯定感を求めすぎて、時にやり場のない感情に支配されてすべてを失ってしまうんだよ
— りょうっう (@TownEar) November 17, 2021
Lion/一ノ瀬みか に関するツイートを上記で引用した。
初めてLionのMVを見たときに思ったのは
自分の中の二面性だとか、生きる理由をめぐる混乱だとか、そういったものと真剣に向き合うことの苦しみ、だった。
そして、一ノ瀬みかが自分に伝えてくれた一番大切なことは
ごちゃごちゃして
醜くて
まとまりのない。
そんな自分自身を、ぐっと飲みこんで、肯定してあげること
だった。
何かを選ぶということは、選ばなかった「それ以外」を捨てることだと思って生きてきた。どうしたいか、どうしなければならないか、何ができるのか。3つの狭間で私は生きて、
— りょうっう (@TownEar) September 12, 2021
そんな自分がただ"いる"ことを肯定してくれる時間。https://t.co/C2SBnQElus#一ノ瀬みか#Lion🦁
ありのままの自分を肯定してあげていいんだよ、と教えてくれたのはみかさんでした。ゆっくり休んでくださいね。
— りょうっう (@TownEar) November 24, 2021
9月の鬱の時は、
鬱ながらも多少は自己肯定出来ていたみたい
夜になるとね、なんであの時ああしなかったんだろうとか、なんであの時ああしてしまったんだろうとかいろんなことが思い浮かんできてしんどいけどね、自分の進んできた道にしっかり向き合ってる証拠だからね
— りょうっう (@TownEar) September 14, 2021
今はまだ、あんまりそんな気分じゃない。
むしろもっと自己否定していたほうが心地いい。
精神的なマゾヒズムに襲われているんだろうか?
自分の愚かさとか、至らなさとかみたいな、
自分の汚らしい部分を
ガンガン言語化して
インター・ネットの荒海に投げ込んでいく
自己否定すればするほどのめりこんでいき、辛くなっていく。
でも一方で、これはこれで快感がないでもない
深夜のツイートもやめられない。
しかしながらこのツイートタイムは、混沌とした脳裏とサーバーがコネクトされ、私が世界に分散して溶け込むための大切な時間だから、おおめに見たまえ。
— りょうっう (@TownEar) April 15, 2015
2015年からやってることなので、もはややめようという気もない
混沌とした感情を言語として表出するのは
ある意味カタルシスを感じる瞬間でもある
でも最近は、こんな無価値な投稿をhttps://twitter.com/のサーバーに流すことに大変な申し訳なさを抱いて、noteを活かそうとしてる。
あー今日ほんとこれだわ
緑舁夫は内なるエネルギーに溢れているけど普段の生活がとことん抑圧されている所為でそれを発揮できる場がなくやりどころのない感情爆弾を密かに抱えて生きているタイプが多い(偏見)
— りょうっう (@TownEar) October 8, 2021
やだなぁ
書けば書くほど「下がって」いく。
他人の夢を直接叶えることはできないし 他人が自分の夢を叶えてくれることもない 結局目の前の問題に向き合っていくしかない 他人から求められる自分と 自分のなりたい理想の自分像との間には常に乖離があるが 何とかどこかで折り合いをつけ 納得できる答えを選び進むしかないと 諦め 今日も机に向かう pic.twitter.com/ImZwuMHqmh
— りょうっう (@TownEar) November 25, 2021
そのうち、
こんな自分を自己肯定できる時が来るんだろうか。
まあ来るとは思うよ。
周期的なものだから。
誰かに何かしてもらわないと治らない、ということでもない。
いつも、いつの間にか治ってる
気分循環性障害か…
厄介だな。
この記事は、そのうち非公開にするかもしれません。