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Smart Eye Camera、ブータンへ行く(3)

 日の暮れた道端に立ち、渡りたそうな素振りをしていると車が止まってくれた。暗い車内の人影に軽く会釈をしながら道を渡る。ティンプーは10万人以上の人口を持つ街で沢山の自動車が走っている。でも信号機は1つもない。大体の交差点は信号のない只の交差点で、大きめの交差点はラウンドアバウトになっている。最も混雑する交差点1つにだけ中心に小さなガゼボ(これも伝統的意匠で装飾されている)のようなものがあって、混雑時は手信号係の警官が立っているのだが、その夜僕達が通り掛かった時には誰もいなかった。
 1日目の予定を全て終え、僕達は伊藤さんの案内の下、夜ご飯を食べにレストランへ向かって歩いていた。そういえば昼間に感じた微かな息苦しさは消えている。ホテルから最初のアポイントメントまで歩いた時、坂道を登りながら中山さんと僕は「空気が薄い気がする」という話をしていた。高山病は一般的には標高2500メートル付近から気を付けるべきだと言われていて、ティンプーは2300メートルなのでそろそろ気になる高度だ。軽い息苦しさを覚えたことが、心肺機能の弱さを露呈しているみたいでちょっとショックだったが、100キロのウルトラマラソンを走る鍛え上げた肉体の中山さんも同じだったのでほっとした。中山さんでも息が切れるなら、日々軽い運動しかしない僕の息が切れるのは当然だ(不思議なことに伊藤さんとシンディさんは全く気になっていないようだった)。
 ティンプーを南北に走るメインストリート”ノルジン・ラム”には商業施設や飲食店が並んでいて、この街の現代化を象徴している。特に夜は昼間と街の雰囲気が異なる。ファサードの伝統意匠は闇に紛れ、店内から漏れ出る現代的な明かりと好き勝手な電飾が取って代わる。統一感のある御伽噺みたいな街から馴染みのあるアジアの夜に変わった感じがする。蛍光灯の中を走り回っている子供たち。歩道を擦れ違う若者。無理のある歩道の段差と飛び交う理解できない言葉。
 とは言え、汗が吹き出す例の蒸し暑さはなく、ティンプーの夜は寒い。シンディーが「日本とどっちが寒い?日本はそろそろ桜でしょ」と言う。僕は凍えながら眺めたいつかの夜桜を思い出し「桜はきれいだけど悲しくもあるからちょっと苦手なんだ」と答えた。
「何が悲しいの?すぐに散るから?」
「日本は4月が年度のはじまりで、桜の頃は別れの季節でもあるから」

 花発多風雨
 人生足別離

 シンガポールに暮らす彼女が于武陵の「勧酒」を知っているのかどうか気になったけれど、作者の名前の発音も分からないし、あれこれと記憶が曖昧で聞くのをやめた。この美しく悲しい1200年前の詩を井伏鱒二は「サヨナラだけが人生だ」と訳した。少しでも大人になれば、誰だってその感傷的な気持ちは分かる。でも、井伏にこう返事をした20世紀の詩人、寺山修司を忘れてはならない。

 さよならだけが 人生ならば
 また来る春は 何だろう
 はるかなはるかな 地の果てに
 咲いている 野の百合 何だろう

 ついこの間まで他人だった僕達は、今こうして誰の故郷でもない街を一緒に歩いている。知り合うと、他人が知り合いになる。これは当たり前のことだけどいつも不思議に思う。それから偶然のように新しく出会う人々のことも、いつも不思議に思う。今日のミーティングと、そこから生まれた新しい縁だってそうだ。前述のように、保健省では眼科の先生方を集めて頂けることになったし、別の訪問先では「そういえば丁度こういう人達がティンプーに来ているんです」と食事のセッティングをして頂けることになった。ただの思いつきだか偶然だか何だか分からないけれど、まるで何かに運ばれるかのような、そういう感覚はいつも楽しく、そして不思議だ。
 通りの左側が急に大きく開け、石畳の広場が現れた。向こうにはホテルとカフェが並んでいて、室内から溢れた暖かな灯りが石畳を反射する。広場の真ん中には昇っていく龍の姿をあしらった厳かな時計塔が立っている。窓から覗えるカフェの内装は僕達の良く知る現代的なもので(イームズのシェルチェアすら置かれていた)、そうなんだなと驚いていたら、僕達の入ったレストランも実にモダンで立派なところだった。
 4人で乾杯をして、食べ切れないくらいの料理をみんなで食べた(伊藤さんにご馳走して頂いた)。ブータンを代表するエマダツィという唐辛子のチーズ煮込みや、モモという餃子のようなものも食べた。
「ブータン料理にはふんだんに唐辛子が使われている、というか普通の野菜としてパクパクと唐辛子を食べるので基本的に辛い」という噂を聞いて、辛いものが食べれない僕は戦々恐々としていたが、辛いのは一部の料理だけで一安心する。干し肉と乳製品を多用する為か、ブータンで食べたものは全てとてもコク深く美味しかった。
 
 ホテルに戻り、シャワーを浴びようかと思ったら水がすっかり止まっている。そういうものなのだろうと思い、残っていたペットボトルの水で顔を洗って歯を磨き、寒かったので服を着込んでベッドに入った。どの旅先でも、1日目の夜はちょっとだけ家が恋しくなる。これが2日目となると、自分でも自分の変化に笑うしかないのだが、すっかりその街だかホテルに馴染んで来て、今度は家に帰りたくないと思う(酷い場所でなければの話だが)。だから眠る前に寂しさを感じるとき「ああ1日目だな」とそれを新鮮さに読み替える。
 すぐに凄まじい眠気がやって来たが、どうしても送っておきたいメールがあったのでどうにかそれを書き、送信ボタンを押して気を失うように眠った。

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