アルバイト 解体屋さん 後編
スーパーウルトラニートの亮太に仕事のありがたみを教えてくれた解体屋。
20代前半は週に9日は現場に出ていました。
1週間は7日しかありませんがシフトは日勤、夜勤と2部制です。
日勤、朝9時から夕方17時まで
夜勤、夜20時から朝5時まで
これをどちらも出るのです。
日勤でて、2時間ほど仮眠して夜ご飯食べて夜勤に出る。
朝方5時から3時間ほど寝て朝飯食べて日勤に出る。
そしてやっと帰宅。
日勤で8000円、夜勤で12000円。その場で支給されます。
亮太の感覚は一日28000円もらっている感覚でした。
家に帰宅して朦朧とする意識の中シャワーを浴び泥のように寝ます。
次の日朝からまた出勤。
そんな生活を1ヶ月も続けると、みるみるうちにお金が増えていきました。
振り込みではなく、現金支給なのでお財布がパンパンです。
この月は交通費も合わせて20万円以上を頂いていました。
学歴もない、資格もない、コミニケーション能力もない。
ただの体力だけあった亮太を雇っていただいて、そしてこの職場を紹介してくれたバンドメンバーに今でも感謝しております。
辛いことはたくさんありました。
埃まみれでボロボロの現場に、ヘルメットも安全靴も何もなく、不織布のマスク一つで作業するのは本当に辛いです。
先輩のお兄様方から優しくお叱りを受けることも度々ありました。
「てめぃサボってんじゃねぇ!こ○すぞ」
「邪魔だガキ、役立たずは引っ込んでろ」
「二度とこの現場に来んなよ」
全部、いい思い出です。
亮太の所属しているバンドが初めて渋谷でライブをする時も皆様見にきてくれました。
楽屋口でご挨拶をさせていただいてる時に、
「こんなに大きな会場で演奏しているお前には、もう指示出せないな」
解体現場の監督さんに言われました。
何をおっしゃいますか、あの時の仕事があったからこそ、あの時の社会の厳しさを教えて貰ったからこそ、今があるんです。
また厳しく愛のある指示を出してください。
「おら!てめぃ!とっととゴミ捨ててこーい」
怖さの中に優しさが詰まった指示をありがとうございました。
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