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初ドラマ 青い鳥症候群〜シンドローム〜撮影中 緊張の顔合わせ、 そして特別レッスンを終えた亮太はいよいよ本番の撮影に臨みます。 大丈夫、できる。あれだけ練習したのだから。 俺はできる、自分を信じて。 何度も何度も胸の中で唱えて日比谷線に乗り、 テレビ朝日がある六本木駅を目指します。 電車内でもひたすら台本を読み心の中で復習します。 安達さんがこう言ってきたらこのセリフ、 あっちに行ったらこのセリフを言う。 頭の中で繰り返しイメージを膨らませ初ドラマに向かったので
初ドラマ 青い鳥症候群〜シンドローム〜撮影前 亮太の人生を折れ線グラフで表すならば、トップクラスに位置する最高峰に大きなお仕事です。 ゴールデンタイムの連ドラです。 連続ドラマ。 テレビ朝日で放送されていましたドラマ。 「青い鳥症候群〜シンドローム〜」 症候群は英語でシンドローム。 亮太は主演の女性の兄の役。 なんと新聞にも名前が載りました。 すごい役です。 主演の次の次の次くらいに凄いんです。なんもできない亮太が。 初めにこのドラマに出演できるようになった経
初ドラマ 青い鳥症候群〜シンドローム〜撮影後 なんでも慣れはあるもので、亮太もすっかり現場に慣れてスタッフの皆様とも談笑出来るようになり出演者さんも優しく会話してくれました。 演技の方は、 話の途中からほぼ寝ているので 寝る演技はプロ級でしたがセリフの方はまだまだでしたがなんとか撮影を最後まで終えることができました。 打ち上げ
1990年代後半。 中学生でも携帯電話を持つ時代になり、 PHSから携帯になり、 パカパカになり、 ワンセグになり、 カメラ付きが携帯電話の当たり前にあっという間になります。 撮った写真を待ち受け画像に設定にしていましたが、 少年達の間で流行ったのはジャニーさんを隠し撮りして待ち受け画像にすることでした。
麻布十番にあるスタジオです。 テレビ朝日第一リハーサル室、 NHK第7リハーサル室などと比べると少し狭いスタジオですが、 7階建てで各階でリハーサルが出来るとても便利な都心のスタジオです。 当時は都営大江戸線も開通しておらず、 麻布十番に向かう交通手段はバスでしかなかったので、少し不便に感じていました。 ダンスのリハーサルには狭いですが バンドのリハーサルには大きすぎるくらいのスタジオ。 畳20畳くらいのスタジオ。 バンド活動時代は、 ほぼ毎日のように通っていました。
こちらのお言葉は、 全てのコンサートを仕切っていました社長様に、 毎回本番前にかけていただいた言葉です。 長い事お世話になりまして、 近くにもいさせて頂き、色々な大切な事を教えて頂きました。 その中でも1番印象に残っている言葉が 「気持ちや!」
モデルの仕事やりたいです。 自己主張を殆どしない亮太が社長に言った一言です。 なんでこんなに大胆になれたのかわかりませんがやれる自信がありました。 そしてこの仕事は自分にしか出来ないともおもってました。
迷い込んだおじさん どのくらいでこの番組終わるんですか? テレビ朝日深夜枠で放送されていた番組。 裸の少年 記念すべく第一回収録の日、楽屋でマネージャーに問いただしていた。