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オニオングラタンスープ 「you達、ホテルいれば」 5日目からは、毎回特等席で寝ている我々は観劇に誘わなくなり、 3人でホテルのルームサービスを食べる夜を過ごすことになりました。 大先輩が注文の電話を入れてくれます。 いつもの注文は、 ローストビーフ、鮭のムニエル、ハンバーグ、パスタなどを頼んでいました。 そしてマストで絶対に頼むのがオニオングラタンスープでした。 パイ生地で蓋がされた器。 生地をスプーンで割って器の中に落としていきます。 中には玉ねぎ、焼いたパン
PHSゲット 1990年代後半。 世の中は携帯電話が普及されてきて、中学生の亮太にも親から支給されました。 ただし、携帯は携帯でもPHS。通称ピッチ。 携帯電話よりも安く手軽に使える電話、ピッチ。 ポケベルの次はピッチ、そして携帯電話と成長していきます。 そんなピッチを手にした中学生の亮太は大喜びで友達と電話を楽しみました。 「夜中にワンギリ」 相手の電話に絶妙なタイミングで呼び出し中に切ると、 「プルル」っと一回コールされて電話が切れる通称ワンギリ。 「ク
発見 1990年代後半は、まだLINEなどなく、メールもそこまで普及して無くて 主な連絡手段は電話か手紙でした。 そして亮太達、芸能を仕事にしていた少年達にはお手紙が大量に届き、 そのお手紙封筒の中に返信用ハガキが入っていて質問を記入回答してポストに投函する。 これも大事な仕事の一つでした。
変わったな 5月に芸能入所した亮太。 同期生の少年達はあと5人ほどいました。 全部で6人が、 ダンスのレッスンや、 雑誌の撮影、 テレビの収録などに呼ばれるのですが、 毎回全員が呼ばれる訳ではありません。 今回のテレビの収録は、ダンスの得意な4人。 明日の雑誌撮影は人気の出てきた2人。 などなど、 ダンスのレッスンは6人とも呼ばれるのですが、頂ける仕事は能力によって差が出ます。 普段は仲の良い同期生6人組ですが、 腹の中では違います。
アルバイトなら時給1000円 現場仕事なら日給8000円 会社員なら初任給16万円 では、芸能活動をしていた亮太の給料は? 答えは
レッスン終了後、 ジャニーさんはたまに何人かの少年を ご飯に連れて行ってくれます。 場所は決まって叙々苑。 とにかく肉焼いて食わす。 美味しいけど、 このお肉がどれほど高級で有難いものなのかなど何も考えず目の前のタンとカルビを一心不乱に食べました。 もう一つの場所はデニーズ。 ハンバーグ、カレーライス、エビフライ。なんでもあるパラダイスです。 しかし今夜は、 「今日はねー、ふふふ、僕のとっておきの場所に行くよ」 車を運転してレッスン後の少年達に向けて話すジ
初ドラマ 青い鳥症候群〜シンドローム〜撮影中 緊張の顔合わせ、 そして特別レッスンを終えた亮太はいよいよ本番の撮影に臨みます。 大丈夫、できる。あれだけ練習したのだから。 俺はできる、自分を信じて。 何度も何度も胸の中で唱えて日比谷線に乗り、 テレビ朝日がある六本木駅を目指します。 電車内でもひたすら台本を読み心の中で復習します。 安達さんがこう言ってきたらこのセリフ、 あっちに行ったらこのセリフを言う。 頭の中で繰り返しイメージを膨らませ初ドラマに向かったので
亮太はファッションモデルの仕事をしていました。 高い身長を生かして毎月仕事をもらっていました。 唯一の個人で誇れる仕事でしたので大事にしていましたし、 もっと他の媒体にモデルとして活躍していきたいとも考えていました。
初ドラマ 青い鳥症候群〜シンドローム〜撮影前 亮太の人生を折れ線グラフで表すならば、トップクラスに位置する最高峰に大きなお仕事です。 ゴールデンタイムの連ドラです。 連続ドラマ。 テレビ朝日で放送されていましたドラマ。 「青い鳥症候群〜シンドローム〜」 症候群は英語でシンドローム。 亮太は主演の女性の兄の役。 なんと新聞にも名前が載りました。 すごい役です。 主演の次の次の次くらいに凄いんです。なんもできない亮太が。 初めにこのドラマに出演できるようになった経