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センスの哲学
千葉雅也さんの『センスの哲学』を読みました。
「センス」という曖昧なことばを丁寧に掘り下げながら「直観的にわかる」として定義します。そして、この「直観的にわかる」という感覚を広げてゆくのがこの本のテーマでもあります。千葉さんの文体とロジックが心地よいので、自分の頭が明晰になってゆくような感覚を覚えますが、これは小説に没入している興奮と似たもので、美しい錯覚です。批評的な自分を胸の内に置いておかないと、おいしいドリップコーヒーを出す喫茶店の水みたいにぐびぐび飲んでしまいます。
要は、感性をひらく技法。世界を“リズム”として捉え、その凹凸を、うねりを、ビートを味わえ、と。料理も、音楽も、絵画も、映画も、対話も、すべてそこにはリズムが息づいてます。たとえば、料理を食べるにも風味や温度、テクスチャーなどそれぞれのリズムが重なり合い、ポリリズムを奏でています。それらのリズムの流れを把握し、おもしろがりながら味わうことで感性をひらいてゆく。その規則と逸脱を、反復と差異を、感じること。
リズムは、周期的な進行の繰り返しによって「音」に調子を与えます。その一定のリズムの循環に揺らぎを与えることでグルーヴが生まれるように、一つのパターンやサイクルから逸脱した時に、高まるものが発生する。センスは、おそらくその塩梅なのではないでしょうか。
そういう意味では、わたしが日記を書いているのも、そのリズムを掴む訓練であり、感性をひらくエチュードなのだとあらためて納得しました。千葉さんが冒頭で「芸術と生活をつなげる感覚」と書いていたことは、まさに日記的な創作のススメであり、そのヒントであるように思います。
最も興味が惹かれたのは、映画における「ショット」と「モンタージュ」に書かれた項です。映像編集において、素材をどのように並べるのか。違和感のないように順当に並べるともちろん伝わりやすい。しかし、間に一見関係のないシーンを挟むとそこに疑問が生まれ、観客の中で前後の関係性を想像力でつなごうとする働きが芽生えます。飛躍したモンタージュは、より芸術的な性質の強い作品となる。特に、ゴダールの映像的な意味の切断について書かれたパートはわくわくしながら読みました。「わかる」と「わからない」の塩梅がかっこよさです。
おぼろげな存在である美意識や審美眼が、このようにロジカルに言語化されているとスカッとします。ユーモラスでやわらかな問題提起と、それをシャープな論理で収斂してゆく。その現象にダイブする体験は快楽に近く。つい、ぐびぐび飲んでしまいそうになるのを我慢して「本当にそうか?」と自分に問いながら読み進めました。その読書体験こそが最大の歓びです。
良い本に出会うと、世界の見え方が変わります。その新しい目でいろんなものを観たくなりますし、実際に自分も何かをつくりたくなります。
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