「勉強すること」の意味
親子の会話の中で、
しばしば子供から
「何のために勉強するの?」
という問いかけがくる。
さらには、
大人になってからも
「今さら勉強してもなぁ…」
といった方もいるだろう。
日本では9年間の義務教育があり、
現代ではその後も多くの人が
大学(4年制)まで学んでおり、
合計で「9年+7年=16年間」を勉強に費やしている。
では、そもそもなぜ勉強が必要なのか?
よく親が子供に説明する理由としては、
・良い会社に就職するため(良い仕事に就くため)
・お金をたくさん稼ぐため
・より楽しい人生を過ごすため
…etc
などがあげられる。
しかし、多くの場合、
子供は釈然としない状況となり、
結局勉強する意義が見いだせないことも多い。
「では、どのように回答すればよいのか?」
これに対して個人的な考えを書きたいと思います。
そもそも、
「勉強することの意義」
を最初にしっかりと定義する必要があるだろう。
「なぜ勉強するのか?」
僕の考えでは、
『生きていく上での不確実性を無くすため』
というのが今最も適した答えだと思っている。
例えば、
<国語>
言葉がわからないと人とのコミュニケーションが
うまく取れなかったり、うまく伝えられずに
困ってしまうことがあるよね。
<数学>
数が数えられなかったり計算できないと
何か買おうとする際に
「何が買えるか?」
「いくら必要か?」
わからずに困るよね。
<理科>
温度というものを知らないと
熱いやかんに触れて火傷しちゃうよね。
などなど。
上記の事例はかなりレベルの低い答えだが
学問のレベルが上がっても基本的には
「生きていく上での不確実性」
を減らすという観点は変わらないだろう。
深い知識を持てば持つほど
人間社会で生きていく上で不便が無くなったり、
出来ることが増える。
というのは、
ほとんどの学問というものは
人間社会の活動にすべからく紐づいたものであるからだ。
そして、実生活との関連性が高いか低いかで
学ぶことの優先度が変わってくる。
例えば、
理科の天文学を学んでも多くの人にとっては
関連性が低い場合が多い。
ただし、そこで一つ制約というか、条件がつくのだが、
さらに高度な学問を学びたいと考えた場合に
より上級の学校に入る必要があり、
その際の入学条件(入試)において
その学校が求める学業基準というものがある。
要は、
学びたいことがあり、それを教えている希望の学校に入るために
入試試験をパスする必要があり、
そのための学力も身に着ける必要があるのだ。
以上より、
「将来どうなりたいのか?」
という問いから始まり、
『●●になりたい!』
というところから遡って、
「じゃあ、そのためにはこういう知識が必要だよね」
「こういう学校で学ぶ必要があるよね」
そして、
「じゃあ、そのために今●●を学ぶ必要があるよね」
という順番で説明する必要があるだろう。
さらには、
「●●を知らないと、こういう不便があるよね」
「●●をやったらどうなると思う?
今は知識や経験がないからわからないよね?
でも、急にそういう場面が来たらどうなっちゃう?」
など、不確実性が発生した場合には、
ことが成り行きのまま進み、
望まない結果となることが多いだろう。
投資の観点から話すと、
「よくわからないもの」
「蓋然性がない、可能性が低いこと」
に投資することほど危険なものは無い。
しかし、
知識や知恵があれば
「蓋然性や可能性」
を挙げることができるのだ。
そして、それは実生活においても同様である。
そして、勉強というものを
何も学校での学業だけに限定せずに、
人間関係、部活動、サークル活動、アルバイト、
仕事、家庭、趣味、などなど
経験と共に一貫して考える必要があると思う。
以上のように、
『生きていく上での不確実性を無くすため』
には、
生きていく上で自分に対して起こりえることに対し
勉強して知識や知恵を身に着ける必要がある。
そうでないと、
予期せぬことが発生したり、
自分よりも知識や知恵のある人に出し抜かれて
失敗してしまう、という結果になってしまう。
ぜひ、「勉強することの意味」について
考える一助となりましたら幸いです。