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ガブリエレ・ミュンターのささやき
つい先日、コロナになってからクローズしていたLACMA(Los Angeles County Museum of Art)が再オープンしていたので行ってきた。日曜日の午後、天気はいつも通りからって晴れていたので、家族連れやらカップルやら、沢山の人で賑わっていた。
おっと、いけない。このままでは美術館レポートになってしまうところだった。そういうのは他の人がもっと高いクオリティでやってくれているので、そういう方達にお任せして。
とてつもなく古いもの、数年前につくられたもの、そのどれもが作られたタイミングや理由はばらばらだ。あくまで個人的な記録用の作品もあれば、その隣の作品はあらかじめ展示目的で作られていたりする。それが奇跡的に今、ロサンゼルスの一つの美術館に集められている。
そこでふと思った。ものづくりとは、本当に自由なものであるんだなと。
「何を当たり前なことを言っているんだ」と思われるかも知れない。でも考えてみて欲しい。撮った写真を投稿して、本当なら売れる必要もなければ、「いいね」をもらう必要だってないのだ。人から評価されないと価値がないのか。そんなことはない筈なのだ。それなのに、「売れないアーティスト 」っていう言葉の響きは苦くて醜い。
それはもちろん、売れた方が嬉しいに決まってる。「いいね」だって多い方がいい。褒められたい。でもその気持ちが先行しすぎると、「ものづくりの自由」を享受できない。ああ難しい。生まれて初めて書いた絵は、誰だって自由で、楽しくて、たった1人から褒められただけであんなに世界が明るくなったのに。
ではLACMAにあった作品は、どこに価値を見出されたのか。その理由はそれぞれだろう。でも、自分の好きな作品の共通点を見つけることはできた。それはとにかく「まっすぐ」であること。どれも信じられていた。一つの曲線、色のチョイス、どれも迷いがなかった。誰のためであろうと、はっきりとした意思表示だった。
ガブリエレ・ミュンターという画家を初めて知った。ドイツ出身で、ミュンヘン新芸術家協会の設立メンバーだったらしい。彼女はヴァシリー・カンディンスキーというアーティストと創作をするようになり、次第に私生活でも良きパートナーとなった。だが、彼女は彼の元を離れて故郷のあるロシアに帰る。それを機にヴァシリーは別の女性と結婚してしまい、それからガブリエレは創作活動をあまりしなくなってしまう。そんなメンタルの中、初めての大きな個展を開くことになり、彼女が「自分のため」に書いたそのポスターがこれだ。
切ない。なんで男女が並んでいるんだ。この絶妙な距離感はなんだ。
でも愛おしい。暗くて、眩しい。絶望と希望は、こんなに近くにいれるのか。
彼女は、もちろん自分の作品のためにこれを描いていたと思う。でもそれはあくまで自分のためで、媚びる気持ちはなかった筈だ。個展というビジネスの場にもなり得る機会のためのポスターにもかかわらず、彼女は「ものづくりの自由」を存分に享受してこの作品を描いた。
「歩みを止めるな。」
ガブリエレが時を越えて、囁いた気がした。