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続続・禁止カードを考える

ええ、またです。またこの記事です。

とはいえ、今回は禁止カード改定それ自体ではなく、それを受けたコミュニティーの反応や、考え方について記事にしたいなと。
特に、多数意見の様になってはいるが、ほんとのところそれは間違いではないのか?というところに、疑問というか、一石投げておきたいと感じた次第だからです。


はじめに

僕も以前に記事にしましたが、MTGの統率者ルールに関しての9月24日発表はプレイヤーたちに絶大なハレーションを引き起こしました。

賛否両論…僕の観測範囲では若干否定の方が多い様に思いますが、個人的にこのような議論の成り行きを見守るのは大好きなので、状況としては悪くはないのではないかなと。
もとより、当たり前を見直すためには、このようなインパクトは必要でしょうから。

ただ、その中で気になったのは、「第三者によるルールの制定」についての意見に関して、僕はそうではないというか、少数派に属する考えを持ったのでした。

第三者によるルール規制は歪か

細かいことは別の方の記事に譲りますが、今回の一番注目したポイントは、カードゲームにおけるルール制定権が誰にあるのかという話です。

原則論的歴史的な話をすれば、ほぼすべてのカードゲームは「ゲームの製造会社」にルール制定権があります。皆さんが思いだせるカードゲームは往々にしてそうですし、今回取り扱っているMTGも統率者ルールを除いて、製造側がルールを制定しています。
要は、製作元がカードが強すぎた責任をとって、その商品価値の滅却である禁止カード指定を行うという構図です。

処が、今回の話題であるMTG統率者はそうではありません。製造元であるWotCのフォローは受けていますが、組織としては外部団体となる統率者委員会が決定元です。

他のゲームにはなかなか類を見ない形態ですが、今回の禁止改定を受けて、この構造が「歪である」という指摘を多数目にしました。

個人的に、歪であるかもしれないが、妥当でもあるというのが今回の騒動の所管なので、もう少しまとめたいと思います。

議論の中心は価値価格か、それ以外か

今回の騒動を注視する中で、そもそも切り分けて整理しなければいけない部分があります。
それは、今回の批判の的はカード資産の減少に対する批判であるのか、(ゲームバランスの混乱を含めた)それ以外に対する非難であるのかです。
この二つは似ているようで異なります。

カード資産の減少に対する非難であるとすれば、統率者委員会の存在が歪であるという批判は的を射ているでしょう。(原則的には関係がない)第三者が、物の資産価値を一方的に滅却しえるという関係は歪と言えます。

他方で、それ以外の部分に関してであれば、話しが変わります。ある意味では製造元が禁止を出している状況こそが歪です。

ゲームというファンタジーの世界に現実を持ち込むことは些かはばかられる思想ではありますが、現実的に言えば、作成するところと裁くところは権力的には別である方が望ましいです。

ちょうど、法にかんして制作である国会と、妥当性審査機関である裁判所が判れているように、作り手の欲目や裏の事情を排除してダメなものは駄目だといえる組織というのはあってもよいのではないかと考える次第です。

まとめて言えば、カードゲームを一種のビジネスとして考えるのであれば、製造元がその責任を負うべきで、その責任として禁止カード制定権を保持するべきであるし、あくまで、コミュニケーションツールとしてとらえるのであれば、敢えて製造元が禁止カード制定権を持つ必要がないといえます。

今回の騒動について

では、そもそも禁止改定の目的は何だったのか
今回の禁止改定はハレーションが大きすぎたのか、珍しく後出しでFAQが発表されました。原文英語なので、翻訳頂いたNOTEから紹介したいと思います。

特に僕が重要視したのはこの一文

流入といってる

補足しておきますと、統率者には同じようなデッキパワーで遊ぶことを推奨するために、レベルという概念が存在します。
処が、そのレベルは所謂抽象的概念的なもので、具体的に【〇〇をつかっているからこのレベル】というような定めはありません。
故に、デッキレベルの認識齟齬がおきて、不幸なゲームが発生するということがままありました。

委員会としてはこの不幸なゲームを取り除くための決定として、今回の禁止を定めたようですが、果たしてそれは妥当だったのか…ということを考える段階に来たと思います。

そして、僕は妥当だったように思います。

要は今回禁止されたカード群は、あったら入れる入れない理由がない所謂【強欲な壺】です。
このようなカード群はプレイヤーの【普通】の認識を定義することがあるため、デッキレベルの認識を誤らせる原因になり得るといえます。

例えば、構築済みデッキをカジュアルに改造してくださいというオーダーに対して、今回の禁止カードを入れることからスタートする層と、それ以外です。
多少高くても、ほぼすべてのデッキの確実に強化につながるものを選ぶことが普通という意見もあれば、(100$のカードをいきなり入れることは普通ではない)5$前後のカードを2~3枚から変更が普通と考える層。これにどちらが普通であるかをユーザー同士の議論で決着させることは不可能です。

そのいみで、今回の委員会決定は、それ(100$がスタート)は我々のめざすところ(カジュアル)ではないという強烈なメッセージだったのではないでしょうか。

ユーザー調整の限界

カードゲームでビジネスを

翻って、声明文を整理するに統率者委員会は統率者でよりよく遊ぶことを考えており、これによってビジネスは(配慮することはあっても)考えてはいないというスタンスでしょう。

では、この統率者でビジネスをしているのはだれか。そう、WotCであり小売店であり、そして我々ユーザーです。

特にWtoCは酷いもので、今回禁止されたカードの3枚は、まさにビジネスとして乗っかる気満々、隠す気もないというレベルのカードでした。

製造元がビジネスの臭いをぷんぷんさせながら作りだしたモノを、ゲームとして良くないと踏み切って禁止を言い渡せたのは、ひとえに外部組織故だったのではないでしょうか。

転じて、我々ユーザーが委員会を批判するときに、どの視点をもって批判を加えているのかは、もう一度落ち着いて整理されるべきではないかとも思います。

我々ユーザーがビジネスマンであるなら、統率者委員会の存在は極めて歪と言えます。しかし、本当にそうでしょうか。

時に我々プレイヤーは転売ヤー含め、カードの投機的値動きに辟易した感想を述べます。また、限定商品故に高額になっていくものも同様です。一つの指輪とか。
この時の文句は決まってこうです、「カードを楽しく遊びたいのに、カードが高すぎる」
処が、今回の様に高いカードが禁止されたときにはこぞって批判する。
流石に、これはダブルスタンダードです。

大枚はたいて買ったカードが使えなくなった悲しさはよくわかります。ただ、我々が忘れてはいけないのは、我々はプレイヤーであって、手にしているのは≪ゲーム≫カードであるということです。
希少性に基づくコレクタブルな価値も否定はしませんが、その値動きにゲームカードとしての価値が内包されている場合には、そのパワーが適正かどうかは常にみられているのです。

要は、高いから強いのではなく、強いから高いというのはカードゲーマーにおける「普通」と言えますが、強いからこそ禁止されることもまた普通と言えるのです。

だからこそ、カジュアルな環境に置いての100$の意味をもう一度考えなければいけないタイミングに来たようにも思います。

補足追記(27日)

彼は日本を代表するプロプレイヤーで僕も尊敬する一人です。
彼の投稿を整理するとこうなります
≪高いカードを禁止するのはかわいそうだから、似たような効用をもたらしている安いカードから禁止でよかったのではないか≫
まず、断言しますが統率者において{太陽の指輪}(ソルリン)と{魔力の墓所}(マナクリプト)を比較して、ソルリンが優れている部分は全くと言っていいレベルでないです。なので、同時に禁止されるパターンはあり得ても、ソルリンだけということはカードパワー基準では全く考えれられないです。
とどのつまり、これは「カード価値の高いほうを後にすべき」という主張で、先に言ったプレイヤーがプレイヤーでなくビジネスマンになってしまっている一例に思います。
もっとも、彼らプロプレイヤーは店舗にスポンサードされている人もいるため、ビジネスマンとしての側面を出さざるを得ないポジションにもあるのですが。
これを盲目的に「プレイヤー」の意見としてみるのは、少し勿体ないというか、残念というか…。

終わりに~その後~

その後の展開として、様々な専門店が今回の禁止推奨を考慮しない大会イベントを打ち出しました。

個人的に、これは素晴らしい動きだと思います。商魂たくましい。見習わねば。
委員会に対する皮肉という意味ではなく、そもそも統率者はコミュニティーでルールを決めてよいものですから、今回の店舗の動きは極めて正しいのです。

特に、先に紹介したレベルの話で言えば、今回の(又は過去の)禁止を適用しないとあれば、デッキに求められるレベルは当然に「普通」を超えてきます。
それを踏まえてユーザーに選択の権利が与えられるという意味では、統率者らしい環境が整いつつあるのではないでしょうか。

その意味で、今回の委員会の禁止改定は普通のカジュアルの幅を一考させる機会をもたらしたとして、個人としては肯定的に考えてます。

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