この三日間のつぶやき
この三日間は完全にオフ。金曜日は、ニクセン、つまり"何もしないことをする"日で、一日中ベットの上で本を読んでいた。
土日は、賀露港と智頭探訪。
秋の移ろいを感じながら、食のありがたみに感謝してた。
最近意識していることは、日頃の食や生活の中の当たり前に感謝の念を持つこと。
忙しくなればなるほど、これらはおざなりになり、雑く、作業みたいになりがち。
だけど、これらに感謝することで、ある意味幸せの閾値を下げることができる。そして、日常から幸せを感じることができるはずだと思ってる。
『2023年の残りは幸せの閾値を下げる』ことを目標に、全力で駆け抜けます。
今日は、student pickerとの座談会で話し合った内容を書き留めたい。
お題は
健康、成長、合理的などいろんなことを含めた上でのワークライフバランスというテーマでした。
まず、健康についてというところでは、
『健康は将来への投資』
『頑張りたい時に頑張れない』
この二つの意見が印象に残りました。
個人的にタスクベースで時間をブロックしたり、寝る時間も変則的ですが、これではやはり波が出てしまう。
これに付随するのが『成長』。
しかし、人生の目的(資本主義の目的でも同じことが言える)
は成長ではない。
成長のために成長のためにと、『手を伸ばして仕事を増やし続けるがあまりに、無駄なことをしすぎてないか』
たとえば、コンビニの24時間営業や、多機能の電子レンジがその典型。
『え、それいる?』っていうサービスが日本には多すぎて、自分たちで自分たちの首を締めている。バカじゃねぇかって話に行きつきました。
これと対比した話が、ドイツなどのヨーロッパの
『必要なものだけを残す』という文化。言い換えると
『要らないものはとことん削ぎ落とす』
文化。結局人間が生きるために必要なことって、衣食住を中心にしたシンプルな生活。それ以外は、本当に欲望、もしくは煩悩の範疇でしかない。
今何が社会で必要なのか、一人一人が考えるべきではないかと思いました。
また僕に関係するのは、
『たとえ京大に受かったとしても、僕は他の人に比べて頭が悪い。だから四六時中勉強して、量で勝るしかない。』という理論。
そして、トピックとしてあがったのが
『将来のために、将来のために』という考えで、"今"という時間を将来のために使うということ。
これに出てくる質問として
『ん?ちょっと待てよ。この将来っていつ訪れんの?』
ということでした。
将来の夢のために頑張ってる自分は超かっこいいという、ある意味"今"を楽しんでることは否定しないけど、
『今、楽しいこと、やりたいことをやらないで"今"を浪費していいのか?』
ということを考えました。
また最近考えていたことにも行き着くのですが、
仕事を抱えると、今一分一秒を合理的に生産性高く効率的に費やそうとする。
そうすると、創造性が失われる。だから仕事を抱える人間って面白くなくなるんだろうなと最近気づきました。
合理的、つまり生産的か非生産的かで考えると、現代人にとって、また僕にとっても必要なのは、
『非生産性の中の楽しさ』をいかに大切にするかであると思います。
『お金は産まないがそれ自体が楽しいかどうかで行動する』
これが重要なわけです。
僕の場合、文を書くこと、これが楽しい。
他の人だったら、音楽をする、運動する等々。
非生産性の中にこそ、創造性は育まれるし、こだわりになる。だからこそ、非生産性というものを大切にしないといけない。
"今"を生きる。やりたいことをする、大切な人との時間を大切にする、そんな当たり前のことに感謝して、"今"見つめ直そうと思った三連休でした。