映画の履歴書(2/2)
前回の記事を見ていただきありがとうございました!
拙い文章ではありますが、ぼくの好きな映画について語っていきたいと思います。
今回は大学に進学してからの映画について書いていきます。
HANA-BI
大学に入学したとき、初めて自分のパソコンというものを手に入れたぼくはTSUTAYAからDVDを借りて映画を見ていました。
通っていたお店ではよく映画をテーマ(ホラー映画や特定の監督など)ごとにまとめて陳列していました。
その中の、北野武の特集の中にあったのがこの映画でした。
「これビートたけしのこと?」
最初に見かけたときの率直な感想はこんな感じでした。
それでも、パッケージ裏には海外の映画祭で受賞していることを知って興味が湧いたので借りてみました。
衝撃でした…
冒頭のシーンがこの映画を象徴していますね。
自分の車を汚された主人公が金髪の若者を睨んだあと、ポケットに入れていた手を引き抜いた直後シーンが切り替わって掃除をさせるシーンに切り替わる。笑ってしまったのですが、この切り替わりの鮮やかさに惚れてしまいました。
しかし、若者が仕返しをしにきたときに主人公がやり返すのですが、このときの容赦のなさに面食らいました。
こんな感じで、作品のなかでいろんなものの対比があって、その落差が激しい。娯楽性と作家性を両立させることができるということをこの作品から学びました。
HANA-BIを見てからぼくの中では「ビートたけし」ではなく「北野武」になりました。
ゼロ・グラビティ
大学生のぼくは映画をパソコンで見ることが多かったです。1本あたりの値段が映画館で見るよりも断然安かったですしね。
しかし、ゼログラビティを見てからは、映画は映画館で見てこそ価値があると考えを改めました。
宇宙空間で主人公が吹き飛ばされるシーンや、地上にたどり着いて立ち上がるラストシーンにも感動したのですが、なによりも音ですね。
完全な無音があることでを緊迫した状況がより伝わってきますし、主人公の孤独というものをより強く感じることができました。これは映画館という環境でしか体感できないものでした。
今でもパソコンで映画を見ることもありますが、なるべく映画館で見るように心掛けています。
実はもう1本、映画館で見ることが重要だと教えてくれた映画があるのですが、また次の機会に書こうと思います。
チョコレートドーナツ
この作品は大学時代にミニシアターで上映していたのですがこの時は見なかったという思い出があります。
1年ほど前にNetflxで配信されていたので良い機会だと思って鑑賞しました。
心揺さぶられましたね。
1970年代のアメリカが舞台で、ゲイのカップルと知的障害の子供のお話なのですが、描写が非常に丁寧でしたね。
特に中盤8mmフィルムで撮影されたシーンは、彼らがゲイだとか血が繋がっていないとか、そんなことなんてどうでもいいほど愛に満ち溢れていました。
このシーンがあるからこそ、ラストの悲劇に対して怒りを覚えてしまいました。本当の愛とは何か? そういう疑問を抱かせた映画でした。
最近セクシャルマイノリティーに関する問題が取りあげられること多くなりましたが、映画の製作にもその影響が及ぶようになってきたという話を聞きます。
差別があってはならない。そのこと自体に反対はしません。その通りだと思います。
しかし、そのような配慮が作品の面白さに直結するとは思えないですね。むしろ、とってつけた感じになってしまうような気がします。
最近だとカムバック・トゥ・ザ・ハリウッドという作品が最たる例だと思いますね。ラストで唐突に黒人が、黒人を主人公にした映画を撮ると宣言したり、レズビアンであることをテレビのレポーターに告白したり。見終わったあと怒りすら覚えましたね。
社会の問題を取り上げるなら真摯に描いてほしい。そういうことを教えてくれた映画です。
番外編 テキサスチェーンソー
今まで挙げてきた映画はわりと高尚というか、正統派な作品が多かったのですが、実はホラー映画も結構好きです。特にスプラッター映画ですね。
そのきっかけになったのが、小学生のときにWOWOWで真夏のホラー特集で放映されていたテキサスチェーンソーです。スプラッター映画の金字塔と言われている、悪魔のいけにえのリメイクですね。
しばらくトラウマになりました(笑)。
夜寝るときに映画のシーンを思い出してしまい、なかなか寝付けなかったことを今でも思い出します。
しかし、そのトラウマを乗り越えて(?)今では気になったホラー映画は見ようと思えるようになったのは大人になったということなんですかね。
終わりに
2回にわたって、好きな映画について語らせてもらいました。
ぼくがどういう人間なのか少しでも想像していただけたらと思います。
最後まで見ていただきありがとうございました。
では、また。