吉田多喜雄の出会い - 巡巡 #015
ひいひいお祖父さん、吉田多喜雄。明治のはじめの人なので出会いと言ったものの、もちろん会ったことはありません。最初に知ったのは2015年くらい、ふと思い立って始めた先祖探しの第一歩、戸籍収集の時だった。筆頭者の本籍を辿って、時代が繋がっていく感覚が楽しかった。残っていれば150年から200年くらいは遡れるので、江戸時代の5代6代前の先祖を知ることができる。
知ったところで…とハッと冷めてしまうことも無きにしも非ず。しかし先祖を知ることで場所や出来事、ふとした小さなことでも深みを感じることがある。
この戸籍の筆頭者を辿る方法で、当時は各役所へ実際に取りに行っていた。多喜雄の戸籍があったのは埼玉県の加須というところだった。加須市役所へ朝8時半に間に合うように向かった。都内から電車を乗り継ぎ2時間ほどで加須に到着。市役所まで徒歩、なぜ自分の先祖がこの地に移り住んだのか、この時はまだ何も知らない。(以下加須までの道中の写真が残っていた)
市役所で戸籍取得の手続きをし、特に説明もなくここにあるだけの謄本をを受けとった。帰りに加須駅の周辺を歩いてみたが平日の午前中と相まってとても閑散としていた。加須から東武伊勢崎線に乗り久喜まで行く電車の中で戸籍謄本を確認した。
これが吉田多喜雄の名前をはじめて知った瞬間だ。「へぇ明治11年生まれの人か〜」と思ったのを記憶している。そして次に向かうべく本籍地を見て驚愕した。「北海道沙那郡留別村字ピリカワツカ番外地」択捉島だ。
明治時代の択捉島には何があったのだろう?そもそもどんな航路があったのか、なぜそこに本籍があるのか、元々北海道や千島のアイヌにルーツがあったのか?埼玉の加須と択捉島の接点はあったのか?
とても興味深く考えはじめたことを覚えている。
ポッドキャストはまた違った角度から考察などしています。良かったらお聴きください。