伊東には大正後期に建てられた先祖の墓があり子供の頃から旅行を兼ねて墓参りに行っています。子供ながらになぜ伊東なのかと思っていましたがそちらの詳細はポッドキャストで話しました。都内から電車に乗り熱海から伊東まで海沿いを走る伊東線に揺られながら、我々の先祖はどのような交通手段で伊東に向かったのだろうと気になり調べてみました。
国会図書館デジタルにて「伊東町交通史物語」という資料を見つけました。
(著者:伊東線全通記念式委員部 編 出版者:伊東線全通記念式委員部
出版年月日:昭和13年)この中に伊東交通変遷年次表というものがあったので下記に書き写したものです。大正後期には各区間の交通の便は進んでいた様子がわかります。
この資料の中の坂田六兵衛という人物は自分の高祖母吉田はつ(旧姓坂田)の兄であり、伊東にある吉田家の墓の過去帳にも名前があった人物で叔父にあたるだろうか。坂田六兵衛は明治、大正期に伊東の玖須美でビジネスや町議をしていた記述があった。現在の伊東オレンジビーチのあたりで坂田回漕店という東京湾汽船株式会社の代理店のようなものをやっていたようだ。坂田六兵衛は通称「坂六」と呼ばれていてこの辺りではかなり知名度があったのではないかと思われる。
この資料によって不明だった自分と伊東の接点はぐっと縮まった。大正10年頃、六兵衛は鉄道省の職員の案内係をしていて、鉄道省の保養所作りに一役買ったような記述がある。この時期に鉄道省に勤めていたのは自分の高祖父吉田多喜雄なので関係がないと思えない。
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