もやもやとの相席-バンコクから関空での自己静観
結局、旅行中はなんだかんだ時間を取れずに
というか何かにつけて理屈をこねて時間を取らずに
関空まであと2時間を切った飛行機の中でこれを書いている。
旅行中、書きこそしなかったが
頭の中をぐるぐると回るのものがあった。
到着まで2時間を切っているのテキパキと思いつく順に書いていく。
この旅を出発する前から今の今まで答えの出ていないこと。
それは
「この旅に何の意味があるのか」
これは純粋に意味を問うているというよりも自分のどこか後ろめたさを映している。
僕はいっつも自分勝手やしすぎないか。
職を変えるのも住居を移すのも
ろくに周りに相談せずどんどんと進めてきた。
僕はいつもそうだ。
前から温めてたこと、気を伺っていること、
実際に物事を起こす直前まで相談せずに決めてしまう。
今回だって決めたことこそ、今年度に入ってからだが、頭の中には何となくずっとあったはずだ。
もう少し僕が周りに相談するのが早ければ、今が違っていたこともあると思う。
僕の彼女は今年度から学校の先生で働き始めたが、僕の転居について
「もう少し早く言ってくれればそっちで仕事探せたかもしれないのに」
とぼそっと呟いていたこともあった。
至極その通りだと思う。
いつも助けてもらっているのに、
助けてもらった人たちに報えているのだろうか。
わからない。
「自分1人では生きていけないから、他人も大事にしなきゃいけない」
そうは頭ではわかっているのだけども、自分はそうできているだろうか。
わからない。
もし僕が本当にお世話になっている人、家族、彼女、SUP友達etc…
本当に大事にしているのならば、僕がこのタイミングでやるべきだったのは
コペンハーゲンへと単身好きなことをしにいくのではなく、
家族&わんちゃんと旅行したりご飯をご馳走したり、
恋人とのんびり公園でくつろいだり他愛もないことで笑い合ったり、
今まで一緒に楽しい時間を過ごし、仕事で辛い時を支えてくれていたSUP仲間とゆっくりとどこか綺麗な水辺にSUPで出かけてみたり、
そんなふうに時間を過ごすことが最終退職から住居を移すまでの二週間でやることじゃなかったのか。
どうせ今から好き勝手するのだから、
少し立ち止まり、今までお世話になった人と過ごす時間にしたほうがよかったのじゃないか。
ドタバタと過ごしているが、ドタバタを言い訳に丁寧に関係を気づくべき人との時間を蔑ろにしていないか。
旅の少し前から沸々と込み上げてきたそんな感情は、コペンハーゲンへと出発しても、帰国の機内にいる今になっても消えていない。
僕は家族が本当に大切だと思っている。
小学校高学年の時に両親の別居が始まり、母についた僕、姉、妹はじいちゃんばあちゃんの家の2階に住み着いた。
そんな大変な状況だったにも関わらず、塾にも大好きなサッカーにも行かせてもらっていた。
結局、中学1年生の時に両親は離婚した。
そして中学校3年生の高校受験1週間前の日にじいちゃんは亡くなった。
どんどんと家族が減っていった。
しかも男手が減っていき、生活が変わった部分も多い。
長い距離を車を運転できる人が減り旅行も減った。
いざという時にパワーで何とかしてくれるだろうという ー古い男性観かもしれないが田舎では重要なー 安心感もなかった。
自分の家族に対して、何かとても脆く、外からの力ですぐにバラバラになってしまいそうな怖さを感じていた。
そんな家族を、少し風がきつく吹けば崩れかねない家族を支えてくれていたのは母、祖母である。
いつもどんな時も僕たち子どもたちを優先して考えてくれ、何不自由なく守ってくれていた。
今やその家族もだいぶと歳を重ねた。
母は今年で還暦を迎えた。
カニ道楽で赤いちゃんちゃんこを着て記念撮影をしたが、まさか自分の母のこういうシーンは、想像していなかった。
僕が保育園に通っていた時は、僕と妹を自転車の前後に載せて送り迎えをしていたパワフルな母も
今はもう電動自転車のお世話になっている(まあ単純にこちらが楽なだけかもしれないが)。
これまで家族を、男手のない家族を支えてくれた母や祖母だが「時の流れ」は残酷で同じように皆を飲み込んでいる。
最近ひしひしと感じるのは、あとどれくらい自分の家族を大事にする機会が残されているのだろうかということだ。
今回転居することになり、少なくとも物理的には家族のそばにはいなくなる。
「親孝行したいときに親はなし」とはよくいうが、油断していれば月日はすぐに過ぎてしまい、時の流れが命を飲み込むことは止められない。
そんなことを考えていると、自分は残された時間の使い方を、家族を大切にする機会を自ら棒に振ってしまったのではないかと後悔の念に苛まれる。
ここまで書いてあと到着まで50分と言ったところだ。
少し涙も流しながら書いたために散文になってしまったが、
迷い、モヤモヤしながらこの旅を終えてしまうのは、旅を許してくれたみんなに対して自分勝手を重ねることだと思う。
自分なりにこの旅を経たからこそできること、それを捻り出さなければ本当に自分勝手な旅になってしまう。
それはもっと嫌だ。
機内モニターにはカメラ映像で九州が見えてきた。
もう旅の終わりも近い。
僕が後ろめたく感じているのは「お世話になっている人に報いれてる自信がない」から。
そうならば、このモヤモヤを少しでも晴らせる可能性があるのは
せめてちゃんと言葉で感謝を伝えることだと思う。
思えば、僕が自信を持てないのは僕がそれを実行している回数が少ないからに他ならない。
いつからか、特に家族に対しては自分の表現が苦手であった。
それは余計なことを家族に考えさせて、ただでさえしんどい家族をさらに苛ませたりしないようにと思っていたことであった。
だからいつも決めたことを相談するのもいざことが起こる直前になったりということも多々あった。
そんな僕だけど、この旅を少しでも正当化できるなら、
頭にはあっても、言葉で感謝をちゃんと伝えることを怠っていた事実を突きつけられたことかなと思う。
これまでの自分の至らなさを自分に突き詰めて、少しでも改める。
あれもこれもできないけども、今回の旅を以て変われるならそんな小さなことかもしれない。
少しずつやってみよう。
これまでサボっていた「ありがとう」を伝えることを。
でも弱い僕は直接となるとまた引っ込んでしまうかもしれない。
そうだ手紙に起こすことから始めよう。
それなら弱い僕でもできそうだ。
家族みんなに手紙を書くんだ。
旅は佳境。
時間は15:40。
あと20分ほどで着陸となるため、準備をするようにと機内アナウンスが流れている。
ダイアリーもここらで一度区切りとしよう。
この旅が良かったか悪かったのか。
この飛行機を降りた自分が決めるのだろう。
取り巻く環境が一気に変わるこれからが本当に怖い。
でも、自分をさせてくれた人に報いるには
自分が変わるところを見てもらうことが一番かと思う。
少しずつでも感謝を言葉で行動で、自分なりに伝えられるように。