すべての意味を考える
昨日のアンキャリは傘のシェアリングサービス「アイカサ」の福岡責任者の勝井嵐史さんをお招きしました。勝井さん、お忙しい中九大までお越しいただきありがとうございました。
勝井さんが全受講生に質問をしてくださったおかげで、終始対話形式の授業になりました。質問の内容も、「なぜ今日その服を選んだんですか」にはじまり、「どういう社会人になりたいんですか」だったり、「なぜそうなりたいんですか」だったり、自分を内省するものだったのも印象的でした。同じ授業を受けている人にはこんな人もいたんだなあと、新たな発見の場にもなりました。
さて、講義を受けてくれたみなさんの中には、ここまで深く自分について見つめ直す機会がなかった方もいらっしゃるのではないでしょうか。もちろん、普段から考えている方も多いとは思いますが、それを大勢に向けてアウトプットする機会も限られているのではないでしょうか。
本当にやりたいことを見つけるためには、自分と真正面から向き合う必要があると考えています。服の選び方を例にあげると、無意識のうちに選んだにしても、なんでもよかった訳ではないと思います。背景には、おそらく好きな色であったり、気温であったり、その日が自分にとってどんな日か(何処にいくか、誰と会うか)などがあり、そういった事情を無意識的にでも考慮した上で、人は服を選んでいます。僕の場合はその日乾いていた服を選んだだけですが、裏返せば濡れたままの服は着たくないという思いが背景にあります。
当たり前のようにも聞こえますし、取るに足らない些細なことのようにも聞こえますが、そういった行動の前提を無意識に留めたままでよいのでしょうか。意識せずともやっていることというのは、純粋にやりたいことであるはずです。であれば、そういった行動をする理由、背景にある想いというのを普段から自分に問い続け、思考のテーブルに置いておく必要があります。そうしなければ、自分の思考は、外からやってきた常識に覆い尽くされてしまいます。思考と想いの不一致は、程度の差こそあれ、いつしか心身の不調をもたらす可能性があります。
とはいえ、服の選び方をいくら内省したところで、キャリアに関わる問題の常識(例えば、大企業で安定した生活。もちろん、これが悪い訳ではありません。ただ合わない人がいるのも事実です。)を覆すほどの想いを見つけられるとは限りません。おそらく相当稀なのではないかなと思います。そもそも、生涯をかけて、少なくとも、仕事としてやりたいと思えるものを見つけられる経験なんてたいしてある訳ではありません。自分がまだ経験していない可能性だってあります。
だからこそ、あらゆる経験をする必要があるのです。勝井さんのように海外に行くのもいいかもしれません。ただ、大きな経験をしなければならない訳でもありません。朝ごはんをパンから白ご飯に変えてみるだったり、少し寄り道して帰ってみるだったり、小さな変化から経験に多様性を生むこともいいと思います。何が自分の人生の転機になるかなんて、誰にも分からない訳ですから。大切なのはその時々の自分の感情に「なぜ?」と問いかけること。小さな変化を楽しめるようになれば、いつしか自分の人生を変える可能性のある経験に出会うことが出来るでしょう。そしてその経験を、自分の人生を変える経験に「する」ことだって出来るでしょう。
昨日の講義が、みなさんの「明日を変える、今日に」なったのなら幸いです。(これ毎回言ってる気がする笑)