エネルギー基本計画が問うもの
第7次エネルギー基本計画の原案が昨年の暮れに発表されたので、感じたことを書いていく。あまりシニカルにならずに広い心で。
まずは、この計画の目的についての理解だが、日本の中長期のエネルギー需給に関する基本的な方向性を定めるもので、大体3年毎に改定しているもの。特に今回は、2050年時点でのネットゼロ達成に向けてどんなPathを歩むのかを示すかが期待された。
今回発表された計画案を見るに、国のカタチを決めるための方針は全く打ち出されていない。謳い文句として、電源開発などの予見性を高めるために方向性を打ち出すと言いつつ、一方で多様な選択肢を確保したなどとも言っているように矛盾があって、国際大学の橘川教授が「エネルギー基本計画は終わった」と批判するなど、あちこちで否定的な見解が寄せれれているのも頷ける。(肯定的に捉える向きもあるが現状維持を目指す既得権団体に多いように思われる)わたし自身も、初見では肩透かし、失望を覚えたが、改めて、これは敢えて選択肢を提示して国の主体である国民の判断を仰ぐものであると解釈すべく考えを整理しつつある。各論についての見解は別に論じるとして、ここでは「エネルギー基本計画」が本来の目的を果たす上で欠けている論点について指摘したい。
論点その①2040年日本が目指す国のカタチ
この計画では需要が反転増加する(23年まで減少傾向であった電力需要が24年からずっと増加に転じる)要因として、経済成長と、データセンター、半導体工場の新設を挙げている。要素として粒度が全然違うけど、と思ったりするが、それは置いておいて、データセンターと半導体工場が需要の目玉となっている。それでいいのだろうか?というのは、本来的には、国の産業政策としてデータセンターや半導体工場の建設があり、結果として電力需要が伸びると言う順番であるべきなのだが、これらの設備建設がありきなのだ。なぜデータセンター?という問いには、デジタル収支の改善とさらっと書いている。日本のITサービス産業の国際競争力の無さがデータセンターの不足によるものと、本当に考えているのだろうか。データセンターというNIMBY(Not In My Back Yard)施設を受け入れるだけで競争力強化にならないのは自明だろう。半導体も然りで、外資主導の製造工場を誘致することがこの国の産業振興の目指す姿ではないはずだ。要は、このエネルギー計画は、前提となる国の経済活動が曖昧な状態なのだ。DXやGXという言葉が踊っているが、あくまでこれらは手段である。どんな生産活動を通じてどんな価値を生産するのか、もっと言えば、どんな生き方の選択肢をこの国は国民に提供するのかという根本を定めなければ、それを支えるエネルギーの議論なんて意味がないのは当然だ。
論点その②産業のカタチに由来するエネルギー需要
上記とも密接に関連するが脱炭素化と生産年齢人口が減少する中で、どんな産業構造を目指すのか、そのビジョンがなければエネルギー需要は想定できない。そのため、本計画では、一次エネルギー、二次エネルギーの割合についての言及や、EVの普及に対する見解が明確に見られない。脱炭素に向けても、電源の脱炭素化とエネルギー需要の電化、残りの所謂Hard to Abate産業は水素、CC(U)S利用と述べるに留まっている。2040年にはこの国にどんな産業が残りそのエネルギー利用はどのような形態なのかが曖昧なため、需要増の根拠、その内訳それぞれが曖昧だ。多くの企業が生産拠点のグローバル化を進める中で国内経済に製造業が占める割合は減少する一方である。製鉄のような国内生産に拘っていた産業でさえ国内拠点を閉鎖し海外に移転を始めている。昭和型の内需や国内労働力を当てにした産業構造が変わっていることを踏まえれば、エネルギーの需要が右肩上がりに増えるというのは、一体どんな社会を前提にしているのだろうか?移民労働が全解禁の社会なのか。水素、CC(U)Sも規模の経済を見込まなければ投資判断が難しいので、対象産業の将来像が不透明な状態では誰も手出しはできないだろう。そもそも、所謂付加価値の高い産業においては生産当たりのエネルギー消費量は少ないはずなのだが。
論点その③責任のカタチ
国際的にグローバル化への反動で分極化が進んでいる中で、パリ協定は世界が「予防原則」に照らして取るべき行動を確認した貴重な約束である。第2次トランプ政権で見込まれる米国の離脱が見込まれる中で、ますます形骸化しそうな気配はあるものの、それを凌駕する勢いで自然災害リスクが発現している状況である。温暖化による被害は、これまでは経済的に脆弱な南側諸国での被害が目立ったが、最近では北側諸国でも影響は顕著だ。そんな中にあって、本計画のトーンは非常に中立的だ。これは過去のエネルギー政策でもずっとそうなので相変わらずといえばそれまでだが、とても責任感や義務感がない残念なスタンスなのだ。温暖化問題とは、受益者たる北側諸国から、被害者たる南側諸国への責任と、現行世代から将来世代への責任という、眼前にない他者への責任によって語られないければならない。これとて、現在の日本経済を見るに他者を慮る余裕なんてない、という意見も聞こえてきそうだし、多分に価値観に依存する論点であるためエネルギー基本計画のレベルで語りきるには荷が重すぎるだろう。
以上、エネルギー基本計画を実質的なものにするために議論を深める必要がある論点を3つ挙げた。計画はいわゆる目指すビジョン(ゴール)にいかに到達するかの手段を示すためのものである。従って、ビジョン(ゴール)が曖昧な状態では戦略も固まらないのは仕方がなく、今回の計画は現時点での限界と理解すべきだ。従って、現状のままでは我々はどこにも行けないし、これまで同様、無節操に全方位的にカネや資源をばら撒くことが続いてしまう。(これこそが国富の流出だ)
なるべく早期に政治を通じて国民の議論を深めないといけない。
次回以降は、手短に以下の各論について見解をまとめます(予定)
電源ミックスについて
洋上風力発電について
水素の利用について