セブ島の少数民族バジャウ族の皆さんにお会いした!
こんにちは。
現在フィリピンのセブ島の貧困支援NGOでインターンをしている、武蔵野大学アントレプレナーシップ学部4年の清水涼太です!
今回はフィリピンのバジャウ族の皆さんに同じ大学でバジャウ族を支援していらっしゃる大平さんのガイドの元、お会いしてきました!
(ちなみにたまたま大平さんとはセブでお見かけしました。世間って狭い!)
バジャウ族とは?
生活・文化
彼らの約7割は漁業に従事しており、セブから船で3時間ほどかけて漁をしているそうです。また船を作る造船もしているとのこと。
集落内は活気があり、たくさんの子どもがいました。
一番驚いたのはこのマシーン。
これはキャッサバ(イモ)の皮を自動で剥く物なのですが、これがフィリピン人の知恵が詰まっていて。
まずモーターは洗濯機の回るところから拝借。そして桶は洗濯のやつ。車輪を回す機構は車のタイヤのゴムを加工するという。。
フィリピン人のものの改造力には関心です!
住居
住居は基本手作り。富裕層が解体した家の端材から作っているそうです。この家はゲストハウスとして貸し出しているもの。ここでのむビールは最高でした!
社会問題
バジャウ族には貧困に苦しむ人々がまだ多く、学校に通えている子どもも多くないと聞きました。中には大学に行ける子もいるみたいですが。
村には寄付によって建てられた1つの幼稚園があるだけで、教育の機会が十分ではありません。漁業も安定した職業とは言えず、天候に左右されることが多いため、漁に出られない日には建築現場で派遣の仕事をしているそうです。
また、歴史的にビサヤ人(セブエリアの人々)から迫害を受けてきた背景があり、同じセブに住んでいるにもかかわらず、「セブ人」と「バジャウ族」という明確な区別がなされる時もあることもあると聞きました(もちろん全員がそうではないですが)。
また水道が整備されておらず、村には共用の水道やお風呂場があるだけです。集落は2つあり、1つは陸側、もう1つは海側にあります。政府やミッション団体から支援を受けることもありますが、まだ十分とは言えません。
セブのインフラ開発による立ち退き問題
特に驚いたのは、近くで進行中の国家プロジェクトです。
大きな道路を建設するため、バジャウ族のエリア全体に大きな橋が架けられ、住民は立ち退かざるを得ない状況だそうです。そのプロジェクトには日本企業も参画しているとのことですが、でもバジャウ族も日本人の方がサポートをしていることもあり、国境を超えて日本と日本で膠着状態にあるとのこと。
国際的な支援が時にこのような形で影響を及ぼす現実に、支援とは何か、そして本当の「ウィンウィンな形」は存在するのかを考えさせられました。
セブ人とバジャウ族――「お互いが理解」をするには
いつもフィリピン人に聞く質問があります。
「あなたにとっての”幸せ”って何?」
彼らはいつもこう答えます。「家族と一緒に過ごし、同じ食卓を囲むこと」と。
バジャウの方々にも聞いてみたところ、全く同じく、
「家族と一緒に過ごし、同じ食卓を囲むこと」と答えていました。
つまり、彼らはバジャウとビサヤという違いはあるけど、結局追い求める幸せは同じなんです。でも歴史上、そして今も差別を受け続けている。
彼らは続けて話します。
「自分には何人かセブの友達がいる。セブ人の中には私たちを区別する人もいるけれど、、友達のセブ人はこの集落に来て、私たちの生活を知ってくれた。
そうすることでお互いが相互理解することができたんだ。
理解し合うためには、まずその場所に足を運び、直接話すことが大切なんだよ。」
これって本当にその通りだと思います。
インターネットが普及した現代では、どうしても「知ったつもり」になってしまいがちですし、何に関してもいつの間にか偏見を持っていることもあります。
でもまずはその場所・物事に対して直接触れてみようと。そして直接話し合い、理解を深めようと。
私もこの訪問を通して、少しでもセブ人とバジャウ族の関係を埋められるような役割を果たせたらと強く思いました。
訪問者は偉いのか?
バジャウ族のエリアは、私たち日本人や欧米人から見ると「スラム」と認識されることが多いです。実際、「バジャウ族」と検索すると「水上スラム」や「貧困層」という言葉が並びます。
しかし、彼ら自身にとっては、これはただの自分たちの暮らしであり、彼らは貧しいとは感じていません。そこに根ざして、幸せに生きているのです。
バジャウ族のエリアにはよく日本人含めいろんな人が訪問しにくるそうですが、中にはプライベートなところまで入ってきたり横柄な態度をとる人も多いそうです。
バジャウ族のエリアには多くの外国人が訪れるそうですが、時にプライバシーに踏み込みすぎたり、横柄な態度を取る訪問者もいると聞きました。
バジャウの方は「すべての日本人がそうではないのは知っているが、ここはあくまでも我々の土地であるし、住居です。そのような人を見ると悲しくなる」
非常に裕福な人な観光客が自分たちの住んでいる場所に勝手に訪れ、「お金持ちではない人たちの集落だ」と言われたら、普通に嫌な気持ちになるでしょう。
一番大事なのは「リスペクト」です。
どの国に行っても、どの地域に行っても、訪問する際にはその場所の文化や人々を尊重する意識が必要です。そして、「立つ鳥跡を濁さず」とはよく言ったもので、訪れた際には、来たときよりも美しくして去ることが大切だと思います。この考え方は非常に重要です。
スラムのような場所で「自分より下の人たち」を目の前にすると、その意識が薄れてしまうことがあると思います。支援する側としての「助けてやる」という気持ちは非常に傲慢なものであり、その心を捨てることを求められるのです。
お互いに学び合い、理解し合うことが大切だと感じました。私は今回、訪問者としてこのことを忘れずに考えていました。
今回訪問させてもらって
訪問を通じて、訪れた子どもたちの姿を見ていると、自分が普段関わっている貧困層の人々とも非常に似た様子を感じました。
彼らはみんな笑顔で、前向きに生活している姿が印象的でした。しかし、やはり経済的にも教育的にも支援がまだまだ不足していることを実感しました。その中でも、頑張っている人たちの姿には共通点を見出しました。
それは「メタ認知」をしていること。
彼らは自分が置かれている状況を客観視し、それに対して必要なアプローチを取ることができていました。
例えば、今回案内してくれた方は英語、セブ語、タガログ語を話し、少し日本語も理解していました。その方は大学には出ていないものの、お子さんには大学に行ってほしいという教育への理解がありました。これは、今まで関わってきた日本人から受けた影響も大きいのでしょう。自分の置かれた状況を嘆くのではなく、自分にできることをし、または夢を子どもに託して次世代へ送ろうとする姿勢が共通していると感じました。
改めて、支援の形とすべきこと、そうでないことについて気づかされました。みんなが大変な状況にある中、支援を行う私たちにも責任があります。有名な「バジャウ」や「貧困」といった言葉が一人歩きしている印象も受けました。だからこそ、しっかりと調べ、事前の知識を持つことが重要です。
私も啓蒙活動をもっと行うべきだと感じました。支援の形を模索し、関わらせていただく場合には、こちら側にも責任があることを意識しなければなりません。
結局、セブの人たちもそうでない人たちも、日本人も、皆一つの人間であるということを改めて感じました。
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