何度も諦めながら生きてきたんでしょ?
いつしか僕らは大人になってしまう。
大人ってなんだろう?
子どもと大人の違い。大人の基本的な定義としては、20歳を超えてからとか色々あるけど、正直なところどれもしっくりこない。
ピーターパンの世界のように、子どものままでいたいと願う子どもはたくさんいる。自分自身も子供心をいつまでも忘れないようにしたいと思っている。
時間の流れは誰にも止められず、誰もが時が経ってしまえば大人になる。
学校生活や家族との会話、失恋や仕事での失敗を経て、一歩ずつ大人の階段を登っていく。
やがて終わってしまう青春の1ページを、めくり続けた最終地点が大人なんだろうか?
学生と呼ばれていた頃は制服を着ていたけど、今では制服を着ず、スーツを着るようになってしまった。制服を脱ぎ去ることが大人への階段を登った証だったんだろうか。
駄菓子屋さんで集まってお菓子を片手に乾杯していたあの頃は間違いなく子どもだった。でも今では居酒屋に集まり、生ビールを片手乾杯の音頭を取っているから少しは大人になったのかな。
ふとした時に大人になると子どもには戻れないことに気づく。子どもから大人にはなれるけど、大人から子どもにはなるという逆戻りは許されない。
頭では子どもに戻れないとわかりながらも、たまに子どもに戻りたいという願望を抱いてしまうことがある。子どもの方が楽だったよなって。守られていたあの頃の方が気楽に生きていたことは間違いない。
大人になるといろんな壁にぶつかる。仕事や恋愛、家事に子育て。お金もたくさん必要。その分できることの幅は広がるけど、全部はやれないという諦めももれなく一緒に付いてくる。
大人になればなるほど諦めることが多くなって、切ないような悲しいようななんとも言えない気持ちになってしまう。
27年生きてみてわかったことは、物事はうまくいかないことの方が多い。物事が簡単にうまくいってしまったら面白くもなんともない。
神様はうまく世界を作った。うまくいかない経験をあえてさせて、試行錯誤を繰り返すことで、成長させる仕組みにしたに違いない。
しかも遠回りが返って、一番の近道になるというケースもあるし、何が正攻法なのかはやってからじゃないとわからないんだよ。
やりたいことを諦める人は実現するまでやらなかっただけ。でもやりたいことをやり続ける覚悟を持つことは非常に勇気のいることだし、かなりの時間も要する。
だからこそやりたいことを実現できるまで継続した人にしかやりたいことを実現することができない。
神様が存在するかどうかもわからないけど、神様はこの世界に時間という制限時間を設け、その制限時間があるから僕たちは必死になれる。制限時間がない人生ならそれほど人は焦らないし、やりたいことを実現させようなんて思わないかもしれない。
制限時間が中でやりたいことを実現するために、うまくいく方法を必死になって考えて、なんども実践する。諦めた数だけ失望してきたし、叶った数だけ喜んできたこの人生。
でもやりたいことを実現したことで、手に入れたものと失ったものがあるのも確かなこと。いつだって失くしたものを代償にして欲しいものを手に入れてきた。手に入れたものが良いのか悪いのかはわからないけど、自分の人生を否定したくないから良いものを手に入れたと信じたい。
子供の頃に書き出した夢ノート。
諦めてしまって叶わなかった夢を、ノートの中にそっと閉じ込めて、なかったことにすることで、自分に言い聞かせる日々。
自分に嘘をつき続け、「やりたいことなんてない」と言い聞かせながら大人の階段を少しずつ登る。やりたいことができなかったことを想像するとつい勇み足になってしまい、自分を騙すことで、自分を納得させてきた。
きらきらした世界がまぶしくて、自分には才能がないと諦める毎日。寝てても起きてても時は流れ、例外なく僕自身も大人になってしまった。
大人になるのに許可はいらなくて、歳を積み重ねれば、勝手に大人になる。
歳を重ねると同じように街並みもどんどん変わっていく。
生まれ育った街と同じように僕らはなんど変わっていけるのだろうか。
どれだけのチャンスをものにすることができるんだろうか。
失敗も後悔もない人生が良いんだけど、僕らはまた性懲りもなく、失敗や後悔を繰り返すことになる。
大人になる。それは諦めと希望を持つこと。
何度だって這い上がることができるのが人間の強み。
強く生きなくていいから、自分の人生を生きれたらいいね。