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金曜の夜に予定がないのは、寂しいことなのだろうか

 気がつけば、金曜日の夜だった。

 在宅で仕事をしていると、曜日の感覚が曖昧になる。月曜の朝に起きてコーヒーを淹れるのと、金曜の夕方に同じ動きをするのとでは、窓の外の景色以外、何が違うのだろう。もしかすると、窓の外の景色さえ大して変わっていないのかもしれない。夕暮れの色は毎日微妙に異なるけれど、その機微を本当の意味を認識するにはもっと繊細な心が必要だ。

 パソコンの画面を閉じて、ソファに体を預ける。今日はMTGがなかったため、誰とも会話をしないまま1日が終わった。SlackやChatWorkのやり取り、メールの返信を「会話」と呼ぶのなら別だけれど、顔を合わせた上で生まれる親密さとは違う。冷蔵庫から水を取り出してひと口飲むと、想像通り味はなく、孤独の輪郭をはっきりとさせる。

 金曜の夜に予定がないのは、寂しいことなのだろうか。たぶん、事前に誰かに連絡を入れさえすれば食事をすることもできたし、「じゃあ軽く飲みに行こうか」と、街へ誘い出されることもあっただろう。でも、特に誰にも声をかけないまま、ぼくは静かに週末へ滑り込む。

 夜の帳が落ちると、部屋は一層静かになる。カーテンを閉めてしまえば、夜が来たことさえも忘れそうだ。Apple Musicで音楽を流すと、阿部真央の『あなたの恋人になりたいのです』が流れてきた。誰かの恋人になりたいわけではない。だが、自分にも歌詞と同じように誰かに恋焦がれていた時期があったことをなぜか思い出してしまった。報われなかった思いはどうやって処理されたのだろうか。そして、報われた思いはなぜ消え去ってしまったのだろうか。過去を修正することはできない。そんなわかりきった周知の事実が金曜の夜に突き刺さる。

 ソファに身を預けながら今週も頑張った、と自分に言い聞かせた。でも、誰かにそう言ってもらえたら、もっと頑張った気になれるのかもしれない。ここ最近は誰かに褒められることへの渇望がある。いや、そんなものは今思いついたこのエッセイに合わせにいった言葉に過ぎない。だって、自分のことぐらいは自分でなんとかしなければならないと知っているのだから。

 金曜の夜には特有のきらめきがある。街に出かける人々の期待感、レストランやバーの賑わい、終電を過ぎた後も賑わう街、映画館の暗闇に沈む人々の気配。明日が休日という安心感。そこに混ざらない自分を、不思議に思う。でも、だからといって、悲しくもない。むしろ、穏やかで、満たされている気さえする。今日はうんと金曜の孤独な夜を堪能したい。そんなことが脳裏に思い浮かんだ。

 窓を開けると、部屋の中に冬の冷たい空気が流れ込む。そういえば3月に突入した途端に、気温が20℃近くまで上がるらしい。もう春はすぐそこだ。遠くで誰かが笑う声がする。楽しい夜を過ごせているみたいで何よりだ。

 金曜の夜には、たくさんのドラマがある。誰かは恋に落ち、誰かは別れを決め、誰かは仕事で大きな結果を残している。新しい音楽や心が突き動かされるような言葉と出会ったり。そして、ぼくは今まさにソファに身を預けている。何も予定がなく、ひとりひっそりと闇に沈み込む、そんな金曜日の夜が嫌いではない。


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