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書いた文章はゴミにならないから
文章を書くことが好きだ。仕事でも文章を書いているし、プライベートでも文章をずっと書いているから文章は自分にとって欠かせないものである。
文章を書いて見える景色があるし、文章は自分の気持ちの整理にも活用できる。自分の考えを言語化するのは難しいけど、自分と向き合って言語化ができたときはある種の達成感があるんだよね。
自分の思いを言葉にするのは難しい。つい感情的になって余計な一言で相手を傷つけたり、不快な気持ちにさせてしまう場合もある。そして伝えたいことが拙い言葉になってしまうかもしれないし、伝えたいことが3割も伝わらないかもしれないと考えると話す行為が少しだけ怖くなるときがある。
でも文章は違う。自分語りの文章は自分さえ分かればいいので、拙い文章でも許される。そこに上手い下手の感情は一切必要ない。
文章は自分の感情を一切抜きにして、客観的な姿勢で書くことができるし、自分の思いの丈を綴った感情的な文章を書いてもいい。
そう文章とはつまり自由なのだ。自由であるから何を書いても許される。公開するかどうかは全部自分で決めればいいだけの話。
人様には見せられないどす黒い感情の文章は、書き残すだけで誰にも公開しなければ、誰にも胸の内を見られずに済む。人の感情は正の感情も負の感情もどちらも存在しているし、世の中の大半の人たちは正の感情をマスに向けて発信しているだけに過ぎない。
自分の書いた文章は後で見返すと備忘録にもなる。そして、当時の自身の考え方を知るのは面白い。
「若いなぁ」とか「そんな考え方してたんだ」と思い出に浸れるんだよ。逆も然りで、「あの頃の自分は熱かったよね」「視野が今は狭くなってるかもしれない」など過去の自分からの学びもたくさんある。
自分のために書き残す行為は必要だと思うし、書き残すだけで救われる場合もある。だから書き残した文章は決してゴミになんてならず、やがて自分にとって価値のある財産へと変わっていくに違いない。
そして、自分の書いた文章を喜んでくれる人がいる事実が何より嬉しくてありがたいことである。
直接嬉しい感想を言って頂ける場合もあれば、SNSを通じて感想を言っていただける場合もある。どんな形でも嬉しい感想を伝えていただけるのは物書き冥利に尽きるのだ。
誰にも読んでもらえない文章を書き続けるだけなら僕はとうに物書きをやめていただろう。読んでくれる人がいて、過去の自分の文章に救われている自分もいるから文章はやめられない。
人のためにも自分のためにもなる文章。
そんな文章が僕は好きだし、誰かの心が少しでも温まる文章を今後も書いていきたい。
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